現代フランス健康事情

ワクチンの選択の自由 受けても受けなくても尊重

竹内真里・フランス在住ライター
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5月19日にテラス席が解禁された。ひょうが降った後、晴天に恵まれた=筆者撮影
5月19日にテラス席が解禁された。ひょうが降った後、晴天に恵まれた=筆者撮影

 5月19日、フランスでは長く続いた新型コロナウイルス対策の外出制限の一部が緩和され、休業を余儀なくされていた商店などが再開した。およそ半年ぶりにテラス席で飲食を楽しむ人々の様子は日本でも報道されたと思う。これまでシャッターが下りてひっそりしていた街に活気が戻った。

 屋外に設置されたテーブル席に人々が腰掛け、長々と飲食を楽しみつつおしゃべりに興じる姿は、フランスにはなくてはならない光景と言っても過言ではないだろう。

ワクチン接種のスピード加速

 新型コロナのワクチン接種計画が更新され、24日からは年齢を問わず指定の職業に従事する人(教員や学校施設勤務者、交通機関の運転手、食品取扱店、葬儀関係など)、31日からは基礎疾患の有無など条件なしで18歳以上の大人はだれでも受けられることになった。フランス政府はこれまでの予定を2週間繰り上げ、どんどんスピードを加速させている。

 リヨン市内の大学生、エバさんは「1年ちょっと前は不安の渦の中にいました。不自由な生活を強いられましたが、今こうしてワクチン接種が進み、少しずつ以前の生活が戻っている現実を見ると希望が持てます」。

 30代の衣料品店店員、ベティさんは「同じ習い事教室に通う人が陽性になりました。私も濃厚接触者として、一時自主隔離しました。店も再開したし、夏のバカンスにも行きたいのでワクチンを早く打ちたいです」。

 ひとりで散歩をしていた60代の男性は「19日から(規制が)緩和されても、飲食店に行く気は起きないね。ワクチンも接種を受けるつもりはまだない。93歳の母も受けていない。まるでワクチンを打てばすべて解決するような流れになっているけど、みんな、このウイルスが一体なんなのか、気にならないのでしょうか。私はそれが解明されてから、必要であれば接種を受けたい」。

 人によって考えはさまざまだ。40代のエロディーさんは「選択の自由があって当然です。接種を受けたい人は受ける。希望しない人はしない。それぞれを尊重する。それでいいです」と話す。

 フランスでは現時点で、ファイザー、モデルナ、アストラゼネカ、ジョンソン・エンド・ジョンソン(ヤンセン)など、外国の製薬会社のワクチンが使用されている。そんな中、国内の大手製薬会社、サノフィが英国のグラクソ・スミスクラインと共同開発中のワクチンの第2相治験(臨床試験)で有効性と安全性が確認されたと発表。前出四つのワクチンとは異なる技術で、今後、第3相の治験を開始し、年内の承認を目標にしている。

18歳に「Pass Culture(文化パス)」を支給

 19日に映画館や美術館などが再開されたタイミングで、マクロン大統領は若者支援の一環である「Pass Culture(文化パス)」支給を発表した。このパスの運用は2019年に五つの県、のちに14の県で始まっていたが、①新型コロナの公衆衛生危機で影響を受けた若者への支援②文化・芸術分野の促進――を目的に、対象を海外県を含むすべての18歳に拡大した。19歳の誕生日前日まで申請でき、有効期間は2年間。外国籍でも、1年以上フランスに滞在している18歳であれば申請できるとのことだ。

 パスは、指定のサイトで必要事項を記入、またはアプリをダウンロードする。使い道は幅広く、コンサートや劇場の入場券、漫画やゲームソフトなどの購入などに使用できる。

 筆者の知る範囲では、親が短時間家を留守にする間、残される子どもたちを見守るベビーシッターの仕事をして地道にお小遣いを稼ぐ子がいるぐらいで、定期的にアルバイトをして働く高校生はほとんどいない。6月に18歳の誕生日を迎えるノランさんは「うれしいです! ちょうど高校卒業と自分の誕生日が重なって、両方のお祝いみたい。欲しい漫画を買います」と話していた。

 しかし、こんな意見もある。年金生活者のデジレさん(80代)は「その金はどこから出るのか。大統領のポケットマネーじゃないだろう。なんでも与えればいいというものでもない。私たちの時代は、コツコツ働いて、倹約して、欲しい物を手に入れた。時代が違うと言えばそれまでだが、今の若い人たちには、努力をして何かを得ることの大切さを忘れないでほしいね」と話していた。

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竹内真里

フランス在住ライター

1978年千葉県生まれ。2000年から2002年までフランス南部マルセイユに滞在。その後、東京や香港でライターとして取材・執筆に従事。2015年に再びフランスへ。現在はリヨン市内でフランス人の夫、娘と暮らしながら現地情報を発信している。