漢方ことはじめ

パンデミックと闘う行政長官、医学史に偉大な足跡

津田篤太郎・NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長
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緊急事態宣言の延長初日、銀座の街を歩く人たち=東京都中央区で2021年6月1日、手塚耕一郎撮影
緊急事態宣言の延長初日、銀座の街を歩く人たち=東京都中央区で2021年6月1日、手塚耕一郎撮影

 今般の新型コロナウイルス感染症のパンデミックは1年を超えて長期化し、その間患者数が急激に増えては、自粛の強化や緊急事態宣言で減少することを複数回繰り返しました。はじめは大都市圏中心だったものが、次第に地方都市へ飛び火し、47都道府県すべてで新規患者が発生することもまれではありませんでした。

 そうなると、あるところは規制を早く緩めすぎて医療崩壊を招き、またあるところは先手先手で対策を打って感染の拡大を最小限度に収めた、というふうに、地方自治体の間で対応の差が目立つようになってきました。これにはおそらく知事や市長などリーダーの姿勢や考え方の違いが色濃く反映されているものと思われます。今回は歴史上、感染症対策で最も大きなインパクトを与えた首長についてお話ししましょう。

 今をさかのぼること約2000年前、後漢時代の中国に張仲景(ちょう・ちゅうけい)という人物がいました。彼は長沙(現在の湖南省)の太守(地方行政長官)でしたが、ある深刻な問題に直面していました。「傷寒」(しょうかん)とよばれる急性発熱性疾患が大流行し、彼の身の回りでも罹患(りかん)者が多発したのです。

 致死率もかなり高かったようで、200人あまりもいた仲景の一族郎党は次々に命を落とし、わずか10年ほどの間に3分の1に減ってしまいました。当時亡くなった人の7割が「傷寒」によるもので、死亡率は約5割という極めて恐ろしい伝染病です。

 仲景はこの惨状を黙って見ていることはできず、その当時入手可能であった医学文献を渉猟し、のちに“漢方医学のバイブル”として人口に膾炙(かいしゃ)することとなる「傷寒論」を著します。これは東アジアの医学史上、画期的な大事件となりました。

 現在では新型コロナウイルス感染症のような新興感染症が流行した場合、いち早く行政が「対策マニュアル」をまとめて各方面に周知するのは当たり前で、それが行政の責務であると考えられているわけですが、2000年前の昔、疫病はなすすべのない天災であり、まじないや祈とうにすがるほかないと思われていたのです。

 「傷寒論」の序文の中で、仲景は…

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津田篤太郎

NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長

1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院、聖路加国際病院Immuno-Rheumatology Centerを経て、現在、NTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。