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児童養護施設で受けた傷 「お母さん」と呼ぶのをやめた日

医療プレミア編集部
約5カ月に及ぶ路上生活を経験した尾中祐樹さん。ここで多くの人たちとの出会いがあった=東京都新宿区で2021年2月7日、黒田阿紗子撮影
約5カ月に及ぶ路上生活を経験した尾中祐樹さん。ここで多くの人たちとの出会いがあった=東京都新宿区で2021年2月7日、黒田阿紗子撮影

 児童養護施設は、親元で暮らせない子どもを社会の責任で育てて、自立へとつなげるところだ。ところが、現実には、そこでも体や心に傷を負い、大人を信じられず自暴自棄になってしまう若者もいる。「児童養護施設で、虐待を受けました」。尾中祐樹さん(22)が行政にそう訴えて被害を公表したのは、施設を離れて約4年後のこと。家も仕事も失い、路上生活に追い込まれた時だった。【谷本仁美、黒田阿紗子】

高架下の路上生活

 2021年2月、JR新宿駅そばの高架下。そこが彼の「住まい」だった。薄い布団1枚を敷いた歩道の一角が生活スペース。スーツケース一つと、投げ銭用の缶、ペットボトルのお茶などが隅に置かれていた。

 尾中さんと会う約束をするまで、私たちは彼が路上生活をしていることを知らなかった。前年のクリスマスイブ、尾中さんは埼玉県庁に出向き、2歳から18歳まで関わりがあった県内の児童養護施設で受けた虐待を県に通告した。その3カ月前からホームレスだったという。黒ずんだ爪の先が、ここでの生活の厳しさを物語っていた。

 「よろしくお願いします」。立ち上がり、礼儀正しく会釈をしてから、顔を向けた。全身黒ずくめ。身長173センチとは思えないくらい大柄に見えた。目線が合っているのに、どこか遠くをぼんやり眺めているような目元が印象に残った。

 県への通告後に記者会見を開いた尾中さんは、施設での日常的な虐待被害を報道陣に訴えた。翌月、施設側も会見し、一部の体罰を認めて謝罪しつつ「日常的な虐待」は否定。改めて調査結果を明らかにするとした。

 施設でどんな体験をし、離れてから何があったのか。なぜ4年近くたってから、虐待を告発したのか。それを知りたくて、生い立ちから聞いた。

「染まっていく」職員たち

 生後13日で、乳児院に預けられた。ごく最近、役所に個人情報の開示請求をして、そのことを知ったという。出てきた書類は黒塗りだらけだったので、虐待があったのか、養育を放棄されたのか、詳しい経緯は分からない。ただし、高校生の時、施設に面会に来た実母は「不倫でできた子」だと言っていた。

 児童養護施設に移ったのは2歳の時。最初に生活していたのは、6人の子どもが入所するグループホームだったが、週末や行事がある時などは、近所の「本園」と呼ばれる大勢が暮らす施設で過ごすことが多かった。

 そこでは、幹部職員らによる「虐待」が日常的だったという。「殴る蹴るは当たり前」「幼児の両耳をつかんで(体を)持ち上げてブラブラと揺らし、落とした。その子は耳の付け根が裂けるけがをした」…

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