医療プレミア特集

ハンセン病回復者とその妻、積み重ねた日々と50年の愛

西田佐保子・毎日新聞 医療プレミア編集部
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ハンセン病回復者の石山春平さん(左)と妻の絹子さんの日常をカメラで捉えたドキュメンタリー映画「絹子と春平」
ハンセン病回復者の石山春平さん(左)と妻の絹子さんの日常をカメラで捉えたドキュメンタリー映画「絹子と春平」

 互いをいとおしみ、共に生きるすべての瞬間をかみしめるように日々を重ねる――。ハンセン病回復者の石山春平さん(85)と妻の絹子さん(82)の日常をカメラで捉えたドキュメンタリー映画「絹子と春平」が現在、米動画配信大手「ネットフリックス」で190カ国に配信されている。監督は、「愛と法」(2017年)で第42回香港国際映画祭の最優秀ドキュメンタリー賞などを受賞した戸田ひかるさん。「お二人の魅力が詰まったラブストーリーです。届くべき人に届いてほしい」と語る。【西田佐保子】

「記録すべき人生」をカメラで捉える

 6カ国の長年連れ添ったカップルの日常を追うドキュメンタリーシリーズ「マイ・ラブ:6つの愛の物語」の日本編として撮影された「絹子と春平」。監督を務める戸田さんは10歳からオランダで育ち、オランダの大学で社会心理学、イギリスの大学院で映像人類学とパフォーマンスアートを学んだ。その後、映像ディレクター、編集者として、10年間、世界各国で映像制作をしてきた。

 「ほれ込んだカップルの日常を1年にわたって記録してほしい」。アメリカのプロデューサーから戸田さんに声が掛かり、19年1月からリサーチを始めた。「沖縄から青森まで旅して、すてきな人たちに会うことはできましたが、撮影の承諾を得られませんでした」。あきらめかけていた同年4月、紹介してもらったのが石山夫妻だった。

 春平さんはハンセン病患者、絹子さんは春平さんが入院していた療養所の職員として、約60年前に出会ったという。「会った瞬間、お二人の人柄と温かさに魅了されました」。ただ、ためらいはあった。「ハンセン病のことを全く知らず、勉強したこともない自分が撮影してもいいのだろうかと。でもそんな迷いを吹き飛ばすほど、すてきなお二人でした」

 石山夫妻は「今だから話せること」を初対面の戸田監督に語り、撮りためていた写真を見せてくれた。長い間、国の隔離政策によって生じた偏見や差別のため、ひっそりと過ごすしかなかった二人。今だからこそ、彼らを撮る意義があると確信した。また、特に絹子さんは「春平さんの人生を記録してほしい」という気持ちを持っていた。

 「記録すべき人生を生きてきたし、今も生きている。そのような思いが春平さんはもちろん絹子さんにもあったのではないでしょうか。撮る側と撮られる側、双方の意識が一致したからこそ、撮影にご協力いただけたのだと思います」

 ハンセン病はかつて、不治の病と恐れられた感染症だ。日本では1907年に国が患者を強制的に社会から隔離する政策が始まり、31年には隔離対象を全患者に拡大する法律が成立した。40年代には特効薬が開発され完治する病になったにもかかわらず、53年に旧法を引き継ぐ「らい予防法」が制定され、96年の廃止まで維持された。98年に同法が違憲であると、元患者たちが熊本地裁に国家賠償訴訟を起こし、01年に原告が勝訴した。「人間回復への第一歩」にこぎ着けたといえるが、いまだに社会の差別や偏見は根強い。

 春平さんがハンセン病回復者であることを公表し、ハンセン病の啓発活動のために全国で講演会を開くようになったのも、01年の熊本地裁判決後だ。「カメラ越しに見られること、撮影されることには、相当な勇気と覚悟が必要だったと思います」

「お父さんとこの池に入って一緒に死のう」

 石山夫妻の出会いは62年、静岡県の神山復生病院(療養所)だった。二人は70年に結婚。プロポーズしたのは絹子さんだ。映画で春平さんは「俺からは言えない。絶対OKって言ってくれないと思うから。前例がない…

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西田佐保子

毎日新聞 医療プレミア編集部

にしだ・さほこ 1974年東京生まれ。 2014年11月、デジタルメディア局に配属。20年12月より現職。興味のあるテーマ:認知症、予防医療、ターミナルケア。