令和の幸福論

尾崎豊は何を壊したかったのか

野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
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 他者との接触を避け、家の中にいることを求められる。新型コロナウイルスが出現する前までは、誰がこんな状況を想像できただろう。世界中の人々が一斉に自粛を求められる事態など、人類にとって初めてだ。

 感染者数の増加に伴う重症化する患者の広がりと医療崩壊が叫ばれる陰で、さまざまな問題が社会の底辺で起きている。家庭内での子どもや女性に対する虐待、失業による貧困や疎外、孤立、自殺……。ひきこもりもその一つだ。

 すでに使い古された感もある「ステイホーム」の状況が、まるで保護色のようになっていて見えないだけで、ひきこもりは深刻さを増している。

幅広い年代、長期化するひきこもり

 コロナ前の調査になるが、ひきこもりは若者だけの問題ではないことが見えてきている。2018年に実施された内閣府の調査によると、40~64歳のひきこもりの推計数は61.3万人だった。15~39歳を対象とした3年前の調査での推計54万1000人とほぼ同規模で、ひきこもりの状態になってから7年以上過ぎた人が約5割を占めるなど、長期化も進んでいる。

 いじめ、病気、就職の失敗、家族の介護、失業など理由はさまざまだ。心身に重大なダメージを受けて社会に出られなくなった人もいるだろう。しかし、小さな失敗やつまずきがきっかけという人も少なくない。

 これまで私たちは、挫折や理不尽な状況に直面したとき、それを克服しようと努力し、状況にあらがい、怒りの声を上げてきたのではなかったか。どうしてこんなに多くの人がひきこもるようになったのだろう。

 ひきこもりはどこの国でもあるのかもしれないが、幅広い年齢層で長期間にわたって生じているのは、現在の日本の特徴といえるだろう。

 ひきこもりが社会問題として注目されるようになったのは1990年代半ばである。戦後の日本社会の移り変わりの底流で何が起きていたのか。あらゆる文脈から探っていかなければ実相に迫ることはできない。

「ガラスのくに」の若者たち

 当時、ひきこもりの存在を社会に発信したのは、不登校の子どもや若者が通うフリースクールを運営していた人々だった。

 学齢期を過ぎてからも不登校の延長のように社会に出ることができず、自宅内で過ごしている若者の存在をニュースレターなどで記すようになった。中には自分の部屋にひきこもったまま家族とも断絶している人がおり、そうした人のこと、あるいはそうした現象のことを「引きこもり」と呼んでいた。

 「ガラスのくに」という連載が、毎日新聞の朝刊1面に載ったのは94年5月。連載の第1回は、ふだん政治や経済の記事が載る1面のトップに掲載された。ひきこもりを重大な社会問題としてメディアが報道したのは、おそらくそれが最初だった。

 バブルが崩壊してまだ日が浅いころ、キラキラと輝いて見えるが壊れやすい世相と若者たちの心情を重ね、「ガラスのくに」の住人たちのことを追ったルポルタージュだ。取材を担当した私は、千葉県松戸市や横浜市にあったフリースクールに足を運び、不登校の子どもや学齢期を過ぎた「引きこもり」の青年たちに会っては取材ノートに彼らの言葉を書きためた。

 「おやじが死んでから自分の本当の人生が始まる」

 30代の男性は真顔で語った。あまりしゃべらない人が多い中で彼の能弁さは目立った。ひきこもりというにしては社交的に見えたが、両手の爪が伸びて黒ずんでいるのが気になった。

 20代の男性は、ロボットのようなぎくしゃくした歩き方が特徴的だった。両足に障害があるのかと思ったが、そうではなかった。狭い自分の部屋の中で数年を過ごし、外出できるようになってから日が浅いという。歩くという行為を長い間していなかったため、筋肉や骨がうまく動かないのだと、フリースクールの職員は話していた。

 ひきこもりの若者たちが参加する夏のキャンプにも同行し、テントの中で一緒に寝た。

 「ふざけるな! このやろう」

 未明のことである。若い男性の怒鳴り声で目が覚めた。悪い夢を見ていたのだろうか、眠っていた男性はうなされるように誰かに向かって怒りの声を何度も上げた。

 「ガラスのくに」には全国から驚くほどたくさんの反響が来た。その多くが不登校やひきこもりの子どもを持つ家族からだった。子どもが家庭内で暴れ、家族も傷つき疲労困憊(こんぱい)していることを切々と訴える文面が多かった。

 今はメールやウェブへの書き込みが中心だが、当時は手紙とファクスだ。手書きの文字から、苦悩し揺れる心情が伝わってきた。寄せられた情報を頼りに新たな取材先へと足を運び、続編も急きょ掲載することになった。

やり場のない怒りと絶望

 ひきこもりは当時、不登校の延長のように考えられていた。

 不登校をあってはならないものとして無理に学校へ通わせようとしたことが、ひきこもり、家庭内暴力、自殺などの逆作用をもたらし、子どもたちは逃げ場を求めるようにフリースクールへなだれ込んだ。

 文部省(当時)は92年、不登校の児童・生徒がフリースクールなどへ通えば「出席扱い」とするよう全国へ通知を出した。連載が始まる2年前のことだ。フリースクールは社会的な存在価値を獲得し、情報の発信力を強めた。それが、ひきこもりを社会問題として世間に認知させることにつながった。

 不登校やひきこもりの若者たちからは、やり場のない怒りや漠然とした絶望のようなものを感じさせられた。テントで夜中に「ふざけるな!」とうなされていた若者がそうだ。自分を傷つけ、追いつめている何かに夢の中で必死に反撃する。昼間の物静かな横顔からはうかがい知れない強い怒りによって、自分自身が焼け焦がされているような痛々しさだった。

 いじめがきっかけで不登校になった生徒も多かった。仲間内での遊びのように見えながら巧妙ないじめに苦しんでいた生徒がいた。

 ある日先生と目が合った。

 <やっと気づいてもらえた>

 そう思った瞬間、先生が目を伏せた。残っていた望みの糸が切れたような気がして真っ暗になり、それを境に学校へ行けなくなったという。

 前回の本欄で紹介した山形県新庄市で起きた児玉有平さんのいじめ死(93年1月)、愛知県西尾市の大河内清輝さんのいじめ自殺(94年11月)の時期とも重なる。いじめに傷つき、学校から逃避するようになった子どもたちの中に、負のエネルギーを家族や自分自身に向ける子がいた。それが、家庭内暴力、ひきこもり、自殺である。

 私が出会った若者たちは、誰もが怒りや絶望を体の奥に潜ませている感じがした。社会に対して向けないからわからないだけで、彼らの内側には雨風が吹き荒れていた。

「万能感」を制御できない世代

 私たちが感じるストレスの多くは人間関係から来るものだ。「そうあるべきだ」と思っていたことが「そうではない」とき、戸惑いや不安や怒りが心ににじんでくる。失敗や怒りをバネにして壁を乗り越え、自らの成長が促される場合もあるが、そうではないことの方が多い。

 そんな経験を数知れず重ねてくると、あきらめや気持ちの切り替え、失望しないための心の持ち方が身についていく。そうでなければ、思うようにならないことば…

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野澤和弘

植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員

のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社 会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集 部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表 として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさ しい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問 (非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員、内閣府 障害者政策委員会委員なども。著書に「スローコミュニケーション」(スローコ ミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、 生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「あの夜、君が泣いたわけ」 (中央法規)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。