
1990年から2010年ごろまでの間、私自身を含め、認知症に関わる医師にとって、「認知症は医療の問題」という認識は自明のものでした。99年に発売されたアルツハイマー型認知症治療薬「塩酸ドネペジル(商品名・アリセプト)」の登場と、00年に医師の意見書が必須となった介護保険制度の導入が、「認知症の医療化」を決定的なものにしたことを前回の連載でお話ししました。
それまで介護の問題でしかなかった認知症のケアに、医学的な視点が加わったことで、正しい診断に基づく合理的な対応、場合によっては薬物による行動の修正もできるようになりました。この認知症の医療化には患者さんや家族にとって一定のメリットがあったと思っています。
同時に、精神科の病院が認知症患者を受け入れるようになり、99年に5万6000人だった認知症の入院患者は14年には7万7000人になりました。高齢人口の増加に伴う認知症有病者数の増加を考えると、ちまたでしばしば言われる「精神科病院が統合失調症患者の減少を認知症患者で穴埋めしている」という批判が正しいのかどうかは疑問です。
一方で、精神科病院における入院患者の高齢化は顕著に進んでいて、ここに、分析すべき大きな課題があることは確かです。このことと、認知症患者の入院長期化には、精神科病院性悪説から離れた客観的な議論が必要だと思います。
痴呆症から認知症へ、名称変更がもたらしたもの
さて、00年前後には、アルツハイマー病の進行を止め、うまくいけば発症を抑えられる薬の開発が、遠からぬ将来実現できるという期待がふくらんでいました。まもなく、アルツハイマー病の特効薬が開発され、認知症対策が劇的に変わるはずだ、という漠然とした期待が一般市民の間でも拡大しました。
こうした社会情勢の中、04年には厚生労働省の主導で、痴呆症という名前が認知症という呼び名に変更されました。痴呆を漢和辞典で調べると、「ばかで愚か」ということになります。患者さんに向かって口にできる言葉ではありませんでした。病名を口にせず、見え透いたごまかしで患者さんをなだめるような態度で、患者さんや家族に向かって、重い荷物を一緒に担ぎましょう、というメッセージを発することはできません。
この呼称変更には、認知心理学の専門家を中心に、不正確で誤解を招く、という批判も多くありましたが、振り返ってみれば、私にとっては大きな福音でした。名称が変わったからと言って、起こっていることの重大さにはみじんの変化もありません。しかし、初診患者さんの検査を終え、結果を説明するときに、「痴呆です」というより、「認知症が始まっている可能性があります」と言う方が説明をする方にとっても、聞く方にとっても抵抗が少ないのです。患者さんを中心とする医療を進めていく上で、これは非常に重要なことと言えます。
病名の変更で偏見がなくなるわけではない、という批判はあるでしょうが、認知症という言葉がさまざまな場面で抵抗なく使えるようになったという一事をして、この名称変更は成功だったとは思います。
本題を外れますが、これは、精神分裂病という病名を、統合失調症という病名に変更したときにも起こった変化です。患者さんが自分で口にしにくい病名では、病気に対する理解が進まず、病気についても語り合えません。
アミロイド仮説だけでは解決しない
一方、アルツハイマー病治療薬の開発はうまく進みませんでした。アルツハイマー病は、脳の中にアミロイドベータ(β)という物質が蓄積することによって起こると考えられています。10年、20年の歳月をかけてゆっくりと蓄積されたアミロイドβが、一定のレベルに達するとアルツハイマー病を発症するという考え方で、これをアミロイド仮説と呼びます。
アミロイドβが引き金を引くのだから、ここを抑えればアルツハイマー病の発症、進行を止められることになります。世界中の巨大な製薬資本が膨大な研究費を投下し、研究者たちが薬の開発にしのぎを削った結果、00年前後には相次いでアミロイドβの産生を阻害する、あるいは…
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