令和の幸福論

「ひきこもり文学」という新しい幸せの形

野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
  • 文字
  • 印刷
 
 

 ひきこもりやいじめ、虐待などの経験を持つ若者たちが書く文章。障害者やいじめの問題に詳しい野澤和弘さんは、そのみずみずしい感性に気付き、「ひきこもり文学」と名付けました。そして、作品を集める「こもれび文庫」の取り組みを始めました。「つらい思いをしているのはあなただけじゃない」。それらの作品が生んだ意外な化学反応から見えたものは何だったのでしょうか。

「負の統計」だけではない現実

 新聞記者という職業を長年やってきたせいか、世の中の悪いところばかりに目が向く癖が染みついている。

 今、いじめ、虐待、不登校、自殺など、子どもに関する「負の統計」はいずれも過去最多を示している。本欄でも何度か取り上げてきた。これでは、どうしたって悪いものが目に入ってしまうではないか。そう思いながら、「それではいけないのではないか」という考えがやはり頭をよぎる。

 「日本社会というのは……」とひとくくりにするのも気が引けるが、新聞記者だけでなくどうもこの国は「ダメなところ」や「できないこと」に目を向ける傾向が強いと感じる。特に、子どもに関してはそうだ。家庭ではダメなところを直すようにしつけをされ、学校でもできないことに赤を入れられて教育される。皆と同じようにできることがとりあえずの目標。そんなところが強いのではないだろうか。

 そうした長年のぼんやりした反省もあって、今年7月から新たな取り組みを始めた。

 いじめ、ひきこもりの経験のある若者たちの書いた文章を集めて、「こもれび文庫」という名前でネットに公開している。それを紹介したい。

内面を深く見つめ耕す人たち

 ひきこもりを、あまりネガティブにとらえてばかりではいけない。ひきこもっているから、誰かを傷つけたり、自分を殺したりすることもせずにすんでいるのかもしれない。命がけで自分を守りながら、自らの内面を深く見つめて耕している。そんなふうに思えてくる。

 いじめや虐待に傷つき、疎外されている人の中にも、自分の内面を見つめる繊細な感性に、みずみずしい美しさを感じさせられることがある。

 学歴社会に敷かれた正規の路線から外れてしまった存在のように見られてきたが、必ずしも彼らの内側で起きていることが知られているわけではない。多くの人がストレスの多い社会を生き抜く中で、無意識のうちに感覚を鈍麻させ、忘れてしまったものがそこにある。ごまかしたり、知らないふりをしたりすることができないからこそ残っている、むき出しの弱さ、混じりけのないやさしさのようなものを感じたりもする。

 そうした人々の内面世界を表した文章を社会に広く知ってもらいたいと思い、創刊したのが「こもれび文庫」である。

 「創刊」といっても単行本や文庫本を作って書店に並べてもらおうというのではない。彼らの書いた文章をネットで公開していくのが主な活動だ。

 こもれびの「こも」は、「ひきこもり」と「common(共通の)」から考えた造語である。木々の間からこぼれ落ちてくる光(木漏れ日)のように、やさしく、あわく、土の中の小さな生き物たちを育みたい。どんな命にも降り注ぐ光でありたい。そうした文化を創造し、皆が参加できる「居場所」にしたい。そんな思いを込めている。

第1回のリリース作品「月の光」

 現在は、私が授業やゼミを持っている植草学園大学や上智大学、東京大学の学生、OBらが書いたものの中から、「こもれび文庫」の趣旨に合った作品を選んで掲載している。

 大学の教員として日常的に学生たちの書いた文章に接している私は、そこに刮目(かつもく)すべき才能や感性があることに気づいた。「多くの人に読んでもらいたい」という思いが少しずつ高まり、知人らに学生の文章を見せたところ、「こもれび文庫」の企画に共感を得たというわけである。

 作品のレイアウトや校正、ウェブサイトの作成や運用なども、これらの大学の学生たちが編集部員として担っている。授業や就活、アルバイトの合間にオンラインでやり取りをして、作業を進めている。世界のどこからでも読んでもらえるように、語学が得意な帰国子女の学生が英訳したものも時々流している。

 第1回としてリリースしたのが「月の光」という上智大学の女子学生が書いた文章だ。

              月の光

 まっくらな部屋で目をつぶって、ただひたすら眠ることだけを考えた。

 眠ることに必死になって汗をかいて、のどが渇いて、焦りに心臓の音は大きくなった。

 中学1年夏から3年まで不眠症に悩まされた。

 過度なストレスという医者の言葉に、目の下に真っ黒…

この記事は有料記事です。

残り6514文字(全文8386文字)

野澤和弘

植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員

のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社 会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集 部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表 として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさ しい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問 (非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員、内閣府 障害者政策委員会委員なども。著書に「スローコミュニケーション」(スローコ ミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、 生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「あの夜、君が泣いたわけ」 (中央法規)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。