
前々回の連載「新型コロナ ワクチン後の感染は『軽くすむ』か」では、私自身は「ブレークスルー感染は軽症で済む」という印象を持っていたけれども、米疾病対策センター(CDC)のデータからはそうは言えないのではないか、という問題提起をしました。その米国のデータでは、ワクチン未完了者よりもワクチン完了者の感染(ブレークスルー感染)での死亡率の方が少し高かったからです。
ブレークスルー感染した人たちの死亡率
もう一つ、ブレークスルー感染の死亡率が高いことを示した研究を紹介しましょう。医学誌「LANCET」2021年9月7日号に掲載された論文「ブレークスルー感染者の入院 (Hospitalisation among vaccine breakthrough COVID-19 infections)」は、米国でのブレークスルー感染者が、どのような結果を迎えたかを分析しています。
対象者は、ワクチン接種を予定通り完了していた入院患者54人で、調査期間は21年3月23日から7月1日です。54人中25人(46%)が無症状(新型コロナに関係のない疾患で入院し、入院時の検査で感染が分かった)、4人(7%)が軽症、11人(20%)が中等症、そして14人(26%)が重症です。重症の14人中、4人は集中治療が必要とされ、1人は人工呼吸器を装着し、3人が死亡しています。ただし、14人の中には過体重(BMI<体格指数=体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)>25以上)が9人、心血管疾患が12人、肺疾患が7人、悪性腫瘍が4人、2型糖尿病が7人、免疫抑制剤使用が4人いました(二つ以上の項目に該当する人が多いため、合計は14人になりません)。このように、重症者には基礎疾患を有していた患者が多かったことは無視できません。なお14人中13人は、BNT162b2(ファイザー/ビオンテック製のワクチン)の接種を受けていました。

では、ワクチンで感染率を下げられるのは事実だとしても、CDCのデータやこの「LANCET」の論文が示しているように、いったん感染してしまうと重症化率・死亡率はワクチン未接種者と変わらないのでしょうか。今回は「そうではない」という見解を紹介します。
ワクチン接種の普及で規制を緩和
ブレークスルー感染は軽症で済むと考え、ワクチン完了者(2回の接種を終えて2週間たった人)が増えたことを理由に、日常生活上の制限を解除している国が増えつつあります。例えば、デンマークは9月10日、ナイトクラブに入る際のワクチンパスポートの提示、PCR陰性証明、マスク義務などのほぼすべての規制を撤廃しました(同国のワクチン完了率は9月10日時点で74%。Our World in Dataのウェブサイトより。以下同様)。9月25日にノルウェー(25日で完了率66%)、29日にスウェーデン(29日で同63%)がこれに続きました。
アジアではシンガポールが規制を段階的に緩和し、同時に効率的なワクチン普及が実施され注目されてきました。規制緩和を開始したのが6月2日で、このときのワクチン完了率は30%です。2カ月後の8月2日には59%と倍増し、9月2日には75%とさらに上昇しました。しばらくの間は規制が緩和されても感染者数は増えず、8月になっても1日あたりの新規感染者数は減少傾向にありました。
感染者急増で再規制
ところが8月の終わりに状況が変わります。突然、感染者が急増しだしたのです。同国のそれまでのピークは20年4月で、このときは連日、人口100万人あたりの新規感染者が100人を超え、200人を超えた日もありました(同国の人口は約570万人です)。しかし、その後は減少し、20年8月にはやや感染者数がぶりかえしたものの、その後1年間にわたり、つい最近まで感染抑制に成功していました。

過去のコラム「新型コロナ 韓国は『私生活保護より感染抑制』」で述べたように、その最大の理由は、シンガポールの非常に厳しい規制にありました。例えば、海外から帰国したというだけの理由で、自身の居場所を1日に何度も当局に報告する義務が課せられ、これを怠ると永住権を取り消され強制帰国させられました。虚偽の報告をして退学させられた大学院生もいます。濃厚接触者が公共の場に出向くと、それだけで1万シンガポールドル(約84万円)の罰金か6カ月以下の懲役、あるいはこの両方が科せられました。
そういった非常に厳しい規制が次第に緩和された結果、21年8月末あたりからついに感染者が増え始めました。9月には増加が急激となり、月末には1日に人口100万人あたり400人を超え、10月には同600人を超える日も出てきました。これを受け、当局は9月27日より再び規制を強化しました。
死亡者も急増しています。それまでのピークだった20年4月の、人口100万人あたりの死亡者数は1日に0.3人程度で、その後はほぼゼロが続いていました。その厳しい政策の是非は別にして、シンガポールは世界でコロナ対策に最も成功した国家のひとつであることは間違いありません。しかし、21年9月からは感染者数と同じように死亡者数が急増し、同1.3人を突破しました。10月には同3人を超える日も出てきました。
ここで「ワクチンの効果」に注目しましょう。同国はワクチン完了率が世界トップクラス(おそらくアジアでは最高)です。そしてその一方で、この国は近代的な都市国家でありながら、人と人が狭い空間で密着する昔ながらの市場が多く、参加者同士の距離が近い会合も日常的に行われます。つまり「ワクチン完了者が増えれば失われた日常が取り戻せるのか」を検証するにはシンガポールほど適した国はないわけです。果たして、ワクチンは、コロナを「ただの風邪」にできるのでしょうか。あるいは依然「死に至る病」であり続け、強力な規制を再開せねばならないのでしょうか。
接種後の感染は「ウイルスの減り方が速い」が
これについて、シンガポール国立感染症センター(NCID)が見解をまとめています。10月22日に更新された同センターのウェブサイトから重要事項を抜粋します。
・シンガポールのワクチン完了率は75%だが、10月は、22日までですでに12人が死亡。そのうち11人はワクチン未接種。なお、20年1月から21年7月までの死亡者は合計37人
・ワクチンを完了していれば重症化はしにくいと考えられる
・デルタ株に感染した218人を対象とした研究で次のことがわかった
#1 デルタ株に感染した患者からは、ワクチン接種の有無に関係なく、最初の5日間は多量のウイルスが検出される
#2 しかしワクチン完了者は、体内のウイルスが減るのが速い。ウイルスが検出されなくなるまでの期間は、未接種だと2週間だが、完了者の場合は8~9日と短い
#3 未接種者(平均年齢39.5歳)の重症化率(酸素の供給が必要になった率)は26.2%なのに対し、完了者(平均年齢56歳)はわずか2.8%だった(完了者の方が高齢であることに注意)
#4 未接種者が無症状だった割合は9.2%なのに対し、完了者では28.2%
・Teo Yik Ying教授(シンガポール国立大Saw Swee Hock校公衆衛生学部長)によれば、全人口がワクチン接種を受けたとしてもコロナはゼロにはならない。しかし、基礎疾患がある人を除けばほとんどが軽症で済む。一方、ワクチン未接種者の割合が大きいと、基礎疾患がある人が未接種者などとの接触で感染する可能性が高まり、そして感染した場合には基礎疾患の悪化や後遺症が心配される。
・Dale Fisher教授(国立大学病院<NUH>の上級感染症コンサルタント )によれば、残りの少数のワクチン未接種者を「mop up(掃討)」するために、国家はあらゆることを行わねばならない

シンガポールの研究が示しているのは「ワクチン接種により、感染してもウイルス量が早く減少し重症化を防げる」ということです。しかし「重症化や死亡をゼロにすることができない」ことは、前々回に紹介した米国のデータが物語っています。先日、新型コロナ感染で他界されたコリン・パウエル元米国務長官も、ワクチン接種は完了していたと報じられています。
「死に至る病」と「ただの風邪」の分かれ目
ということは、新型コロナとは「高齢者や基礎疾患のある人」にとっては、ワクチンを受けても依然「死に至る病」、そうでない人にとっては「ただの風邪」となります。どこかで聞いたことのあるフレーズです。そう、コロナがはやりだしたときにこういったことがよく言われました。
日本でのコロナの歴史を振り返るとき、ターニングポイントは21年春のアルファ株の流行だったと私は考えています。このときに、若者も重症化することが誰の目にも明らかとなり、さらに大阪では医療逼迫(ひっぱく)が崩壊へと変わり、本来なら入院しなければならない患者が入院できなくなりました。それまでコロナ軽症論を唱えていた人たちも鳴りを潜めるようになりました。そして夏にはデルタ株が流行し、さらにコロナの恐ろしさをまざまざと見せつけられました。
その後は急速に収束し、この理由としていろんなことが言われていますが、私自身は最大の理由はやはりワクチンの普及が大きいと考えています。ワクチンによって、コロナの脅威がアルファ株登場前の状態に戻ったのではないか、これが私の考えです。よって、コロナ対策はアルファ株が流行する前と同じようにすべきで「高齢者や基礎疾患がある人もいるかもしれない場所に行くときにはマスクや密の回避が依然必要」となります。
最後に上記「mop up」という表現について私見を述べておきます。この言葉は日常生活でも、例えば床にこぼした水を拭きとるときなどにも使いますが、文章でしばしば見かけるのは「敵や反乱軍を全滅させる」といったような文脈です。この表現を医学者がワクチン未接種者に対して使うことに私は違和感を覚えます。
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この記事を執筆している谷口恭医師が、12月9日に大阪市で一日講座を開きます。テーマは前回(今年7月)の講座と同様に「ウイルスとワクチンについて」です。オンラインでも同時中継します。
12月9日(木)午後7時から8時半まで、大阪市北区梅田3の4の5、毎日新聞ビル2階の「毎日文化センター」で。受講料は通常の講座、オンライン講座とも1650円です。なお、オンライン講座の受講には、ウェブからの事前申し込みが必要です。問い合わせ・通常の講座への申し込みは同センター(06・6346・8700)へ。
谷口医院院長
たにぐち・やすし 1968年三重県上野市(現・伊賀市)生まれ。91年関西学院大学社会学部卒業。4年間の商社勤務を経た後、大阪市立大学医学部入学。研修医を終了後、タイ国のエイズホスピスで医療ボランティアに従事。同ホスピスでボランティア医師として活躍していた欧米の総合診療医(プライマリ・ケア医)に影響を受け、帰国後大阪市立大学医学部総合診療センターに所属。その後現職。大阪市立大学医学部附属病院総合診療センター非常勤講師、主にタイ国のエイズ孤児やエイズ患者を支援するNPO法人GINA(ジーナ)代表も務める。日本プライマリ・ケア連合学会指導医。日本医師会認定産業医。労働衛生コンサルタント。主な書籍に、「今そこにあるタイのエイズ日本のエイズ」(文芸社)、「偏差値40からの医学部再受験」(エール出版社)、「医学部六年間の真実」(エール出版社)など。谷口医院ウェブサイト 無料メルマガ<谷口恭の「その質問にホンネで答えます」>を配信中。