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高齢者の生活 支援者の有無でどう変わる?

斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
 
 

 前回は、単身生活をする75歳以上の「後期高齢者」に認知機能の低下が生じた場合に起こる三つのリスクについてご説明しました。簡単に復習すると、些細(ささい)な能力低下がさらなる能力低下を誘発して悪循環に陥るリスク、そして医療と意思決定に潜むリスクでしたね。今回は、単身の高齢者と、家庭に理想的な支援者がいる高齢者を比較してみましょう。

 なお、現実の生活では、世帯を一にする家族と高齢者の間に確執があって介護どころか虐待が心配されたり、近所に住む子供の理解が得られずに介護サービス導入が妨げられたりすることは日常茶飯事です。しかし「理想的な支援者」の想定は、支援者を家庭内に持たない高齢の単身世帯や夫婦世帯の生活をサポートするための方法を考えたり、何らかの理由で親族からの支援が受けられていない高齢者への対策を練ったりする上でも、とても重要です。

認知機能の低下と生活の質

 身近に支援者のいない後期高齢者の認知機能が低下すると、どのようなことが起きるでしょうか。まず、家庭や社会生活において、種々の状況変化に柔軟に対応しながら目的を達成する能力である「実行機能」が低下し、家事の遂行が少しずつ困難になります。認知機能の低下が、そのまま生活水準の低下に直結するのです。

 一方で、家庭内に支援者がいれば、初めは無意識に、やがて本人も家族も認知機能低下に気づいて、意識的に本人ができなくなったことをカバーするので生活の水準は大きく低下しません。たとえば、80歳の主婦の家事能力が落ちても、それまで家では何もしていなかった85歳の夫がその分を補えば当面、2人で何とかやっていけます。夕食の献立が毎日同じになってしまった妻と一緒に買い物に行き、「今日はサンマが食べたいな」と言うだけで、食生活は改善されます。夫が会計をすれば妻はお金の計算に困りません。同じものを何度も買って冷蔵庫中が卵だらけになることも防げます。

 料理するときは一緒に台所に立ち、妻の指示で夫が調味料を入れれば、妻が「あれ? お塩入れたかしら?」と不安に思ったりしないですみ、調理は効率的に進みます。また夫に家事能力が皆無でも、配食サービスを頼めるはずです。少なくとも、妻の認知機能低下を夫が把握していれば、出された料理を口に入れた途端、「なんだ、これは!」と腹を立てずにすみます。妻をおどおどさせて無意味な混乱を引き起こすこともないでしょう。

 女性より男性の方が、認知症が進行してしまってから医療機関を受診するケースが多いというのは、先月お話ししたとおりです。これは、妻が健康でいるうちは、家事をしていない男性の後期高齢者は認知機能が低下しても、生活水準の低下に結びつかないからです。

 社会生活をしている子供と2人暮らしであれば、日中は1人で過ごしていても、子供は親の能力の衰えがごく軽いうちに気づけるので、早期に医療機関を受診できます。診断があれば介護保険サービスを利用できます。また、家の中の片付けも、お金や貴重品の管理も、近隣の人たちとの最低限の付き合いも、家族がいていろいろな工夫で失敗を防いでいれば大騒ぎになりません。

 後期高齢者の認知機能低下は多くの場合、ある日突然顕在化するものではありません。年の単位で少しずつ進行していきます。誰かができなくなったことを肩代わりしたり必要な家事支援を導入したりすることができれば、円滑な役割交代ができ、生活の大きな破綻は起こりません。

 80代、90代で認知機能低下が起きた人では、60代、70代前半に発症した認知…

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東京都立松沢病院名誉院長・精神科医

私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。