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成年後見制度は高齢者の人権を守るか?/上

斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
 
 

 「成年後見制度」という言葉を耳にしたことがある人は多いでしょう。認知症などで自分の財産を自己管理できなくなったときや、自分のことを自分で決められなくなったときに使われる制度です。

 もともとは財産管理を目的としていましたが、2016年の成年後見制度利用促進法の成立(https://www.mhlw.go.jp/content/000634327.pdf)以降、家族の支援を受けられない認知症高齢者を支援する手段としても用いられるようになりました。しかし、私は、この制度を利用して介護を円滑に行おうとする最近の風潮には大きな疑問を持っています。

 そこで、制度の歴史からその本質について理解していただき、私がなぜ、福祉分野で利用することに反対なのかを2回にわたり論じたいと思います。

判断能力の不十分な人の意思決定を支援

 成年後見制度は、1890年に公布された我が国最初の民法典(いわゆる旧民法)の禁治産・準禁治産制度に始まります。判断能力が不十分な未成年者や禁治産者・準禁治産者の財産の保全、扶養義務者の保護、財産の蕩尽(とうじん)の結果生じる公的な財政負担の発生予防、推定相続人の相続期待権の保護――などが主な目的でした。

 禁治産者とは、精神上の障害などが原因で心神喪失の常況にあり、正常な判断能力がないと裁判所に宣告された人、準禁治産者とは心神喪失ほどではないものの正常な判断能力が低下した心神耗弱の常況にあると裁判所に宣告された人を指します。

 第二次世界大戦後の1947年に改正された新民法でも、骨格が変更されないまま残ったこの制度は、本人の権利ではなく、本人の財産と、それに関わる人々の権利を守ることを目的としていたといえます。

 民法学の泰斗(たいと)、我妻栄先生の「新訂 民法総則」(1965年、岩波書店)にも、「禁治産者の行為は、後見人の同意のもとに行った行為であっても取り消すことができる。意思能力を欠く常況にあるのであるから、事前に同意を与えて単独に行動させるのは、本人の保護の上から言っても相手方の利益から見ても危険であり、むしろ単独の行為を絶対に認めないようにすることが、制度の目的に合する」と記されています。

 2000年4月、介護保険制度の発足と同じ時に民法が改正され、新しく「成年後見制度」が始まりました。「ノーマライゼーション」「本人の自己決定権の尊重」「身上保護の重視」を基本理念とし、公的後見制度として、従来の禁治産、準禁治産に相当する「後見」「保佐」に加え、より障害が軽い人を対象とした「補助」制度(これらは家庭裁判所の審判に基づいて行われるため公的後見と呼びます)が加わりました…

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東京都立松沢病院名誉院長・精神科医

私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。