令和の幸福論

「障害のある兄が笑われるのが嫌なんだ」 怒った次男が教えてくれたこと

野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
  • 文字
  • 印刷
 
 

 障害者をきょうだいに持つ家族は、社会からの好奇の目にさらされ、家族のことを隠す傾向が見られます。それが「悲劇」につながる恐れもあります。自閉症の長男を持つ野澤和弘さんは、15年前の次男の一言が今も胸に突き刺さったままであることを明かします。きょうだいたちの苦悩と、そこから垣間見える希望について考えます。

親が感じるきょうだいへの後ろめたさの本質

 「きょうだい」と書かれたものを見ると、何か言葉にならない酸っぱい感覚が胸の奥でする。ひらがなを使う理由は、「兄弟」と書くと男に限定されるイメージになるからだ。ひらがなで書く「きょうだい」は、女も含めた一般的な家族関係(兄弟姉妹)を示すものだ。

 障害の子がいる親にとって、障害児のきょうだいの存在は、いとおしさと後ろめたさが混じり合ったような複雑な味がするものらしい。私自身がそうであるし、そのような感想を親たちから聞くことがよくある。

 親にとっては障害のある子の誕生は、自らの人生を一変させる大事件だ。周囲からは哀れみや同情の混じった目で見られ、これから先の子どもとの生活を考えると暗くて重い雲に覆われた気がしてくる。

 最近は少し事情が変わってきたのかもしれないが、多くの場合、母親は仕事を辞めなければならず、家族や親族の無理解と偏見の中で「孤軍奮闘」を強いられることになった。そんな親の感情が障害のある子にばかり向けられるのを、きょうだいはどのような思いで見ているのか。そのようなことすら、あまり考えられてこなかったのではないか。

 2020年に公開された「僕とオトウト」という映画を見た。京都大大学院の髙木祐透(ゆうと)さんが監督をした作品で、知的障害のある弟と自分を題材に製作したドキュメンタリーである。京都大の「障害者のリアルに迫る」ゼミを運営する学生の中心だった髙木さんとは以前から親交があった。彼に頼まれて映画の紹介文を書いたということもあって、この映画を通して改めて「きょうだい」について考えることになった。

 きょうだいのことが気になるもう一つの理由がある。「6060」が社会問題として現実味を増しているのを感じるからである。

 80代の高齢の親が50代の子どもと孤立している「8050」問題は知られるようになってきた。一方、年を取り亡くなった親に代わって、障害のある人らがきょうだいと共に孤立した生活をしているのを「6060」問題という。60代のきょうだい同士の世帯がどのくらいあるのかわからないが、想像以上に増えているのではないかと思う。

障害者への「好奇の目」

 きょうだいについて考える際の私自身の立ち位置について述べておきたい。

 もう10年以上前になる。次男が小学5年のころだった。日曜日に長男を連れて外出先から自宅マンションに戻ってきたとき、駐輪場の壁のところに小さな影がいくつか見えるのに気づいた。心に引っかかるものを感じながら家に戻ったのだが、それが次男の同級生たちだと気づいたのは夜になってからだ。

 幼い目は、次男ではなく自閉症という障害がある長男に向けられていた。長男を「見てやろう」と隠れて待っていたのだろう。

 次男にそのことを告げたが、平気な顔をしている。前にもそんなことがあったので大丈夫だという。

 それから少し過ぎて、次男が学校へ行くのは嫌だと言い出したのを聞き、次男が「まったく平気」ではなかったことを知った。…

この記事は有料記事です。

残り7407文字(全文8804文字)

野澤和弘

植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員

のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社 会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集 部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表 として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさ しい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問 (非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員、内閣府 障害者政策委員会委員なども。著書に「スローコミュニケーション」(スローコ ミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、 生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「あの夜、君が泣いたわけ」 (中央法規)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。