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備えあれば憂いなし 成年後見制度をうまく使った人たちの勝因は?

斎藤正彦・東京都立松沢病院名誉院長・精神科医
 
 

 前回までの連載では、成年後見制度の問題点ばかりを指摘してきましたが、今回はまず、この制度をうまく利用した高齢女性の例を紹介します。そして、その人の成功の鍵は何であったかを探りながら、再び成年後見制度の本質的な問題は何かを考えてみようと思います。

なぜAさんの成年後見制度は「成功」したのか

 Aさんは1人暮らしの女性で、初診時80歳でした。北海道で生まれ、高校を卒業したあと、姉を頼って上京し、看護師の資格をとって70歳まで働きました。

 同じく看護師だった姉とAさんは生涯独身でしたが、とても仲が良く、特にAさんが退職した後は、2人であちこちに旅行するなど充実した老後を過ごしていました。ところが、78歳の時、Aさんは姉を亡くし、急に身よりがいない心細さを感じるようになりました。

 それから2年ほどして、Aさんは認知症を心配して、私の外来を初めて受診しました。しかし、Aさんの認知機能低下は正常な加齢変化の範疇(はんちゅう)で、むしろ、将来への心配のために軽いうつ状態にあると考えられました。Aさんには、ボランティアや「老人大学」(高齢者向けの生涯学習)への参加などを通じて、社会との交流を取り戻すようにアドバイスをし、半年ごとに経過を見ることにしました。

 1年後の再診でも、Aさんは自立した生活を維持していました。その時、Aさんは、将来に備えて、自ら成年後見制度の利用を考え始めているという報告をしてくれました。地域包括支援センターの紹介で巡り合った高齢者の権利擁護に熱心な弁護士を任意後見人に選任し、任意後見契約を結ぶ準備が進んでいるということでした。

 それから2か月がたったとき、Aさんが新型コロナワクチン接種の手続きができずに混乱したのがきっかけで、再び地域包括支援センターが支援に入ったところ、保険や年金の手続きなどが滞っていることが判明。以前はきちんと整頓されていた室内は雑然としていました。

 驚いた支援員に伴われて外来受診したAさんは、甲状腺機能低下症という内分泌疾患による意識障害と診断され、緊急入院となり、治療が始まりました。内科治療は順調でしたが、数カ月の入院中に、心身の機能低下が進み、Aさんは一人で生活していく自信をなくしてしまいました。

 そこで、任意後見契約を準備していた弁護士に連絡をすると、快く、病院までAさんに会いに来てくれました。その後も、Aさんの退院後の方針が決まるまで、直接の面会、Zoomカンファランス(打ち合わせ)と、何度も相談に乗ってくれました。おかげで、Aさんの退院後の生活が安全に進むような手はずを整えられました。

 Aさんの入院前から面談を重ね、互いの理解を深めていたために、この弁護士は世間の常識や一般的な合理性にこだわることなく、Aさんの希望に文字どおり寄り添って考えてくれたのです。

 先月紹介した、成年後見制度のおかげで望まない生活を強いられる結果になった二つの事例(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20220228/med/00m/100/010000c)と、Aさんの事例を比較して、決定的に違う点は何でしょうか。それは、Aさんが自分の意思で、将来に備えて成年後見制度の利用を検討して、数人の弁護士と面談し、その中から自分の話を一番誠実に聴いてくれた人を選んでいた点です。

 もちろん、…

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東京都立松沢病院名誉院長・精神科医

私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。