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言葉は世につれ、病気も世につれ

山登敬之・明治大学子どものこころクリニック院長
 
 

 4月4日はオカマの日!

 ひと頃、春先になると、私のケータイには毎年こんなメールが舞い込んでいたものです。迷惑メールではありません。私がよく出入りしていた新宿2丁目のゲイバーの従業員の方々が送ってよこすのです。「お店に来てちょうだい!」というメッセージが、この後に続きます。

 ここで、さっそく断りを入れておかねばなりません。この「オカマ」という言葉は、かつては今でいうLGBTなど性的少数者の一部に対する蔑称にとどまっていましたが、現在では、一部どころか社会的にNGワードになりました。

 「なに言ってくれちゃってんの、あたしはオカマよ! 悪い?」と、どこからかツッコミが入りそうですが、ゲイバーのような店で働く方々が、自分で使うのはOKなのでしょう。昔はこの呼称に誇りを持つ方々もいたようです。彼ら彼女らは、むしろ「ゲイ」と呼ばれるのを嫌ったとか。

 私もそういう陣営に味方するつもりで、自分の書く文章にもあえて古い言葉を使っていたのですが、この時代、さすがにそうはいかなくなりました。どこかさびしい気もします。私の通っていたゲイバーも3年前に閉店。これもまた、故郷を失ったような気分で……。

 と、ちょっと断りを入れるつもりが、あらぬ方向に脱線しそう。あぶない、あぶない。ここで、「児童精神科医が連載第1回からいったい何の話?」といぶかる読者のために説明を入れましょう。この話題をマクラに振ったのは、今がちょうど4月だからというのもありますが、ほかにもちゃんとした理由があるのです。

同性愛は病気だった?!

 ひとつに、言葉の問題があります。ある言葉を不快に思う当事者やその周囲の人々がいるなら、相応の配慮が必要なのはもちろんのことです。しかし、それを単に言い換えて何事かに配慮したポーズを取るのは欺瞞(ぎまん)です。患者さんのことを「患者様」と呼んで澄ましているあの感じですね。

 言葉は人と人の間に距離を作ります。私も先ほど「従業員の方々が」と書きましたが、ヘンに気を使うのもかえって差別的では?と心配になります。本当は親しみと敬意を込めて「店のオカマどもが」と書きたいところです。でも、それが許されるかどうかは、読者との間合いを計らないとわかりません。

 精神医療の領域は、とくに差別に関わる問題には敏感ですから、こういうところには気を使います。診察室で患者さんに向き合うとき、講演会で大勢の人を前に話すとき、メディアに文章を載せるときなど、場所や相手は違っても、間合いを計りつつ話をしたり書いたりしなくてはなりません。

 理由のふたつめは、LGBTの人たちの抱える問題あるいは社会活動と精神医療には、深いつながりがあるということ。ご存じのように、このアルファベット4文字は、レズビアン(Lesbian)、ゲイ(Gay)、バイセクシュアル(Bisexual)、トランスジェンダー(Transgender)の頭文字からなっています。このうち初めの三つは同性愛か両性愛かという性的指向を指すのですが、とくにレズビアンとゲイは、長いこと精神疾患のあつかいを受けてきました。

 米国の精神医学会が発行する「精神疾患の分類と診断の手引(DSM)」という精神科の診断基準をまとめたマニュアルがあります。最新版は2013年に発行された第5版ですが、このDSMシリーズは日本の精神医学、精神医療にも強い影響力を持っています。実はこの第3版(1980年発行)までは「自我不親和性同性愛」なる病名が載っていたのです。第3版の改訂版が出てこの名が消えた…

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明治大学子どものこころクリニック院長

やまと・ひろゆき 明治大学子どものこころクリニック院長。同大文学部心理社会学科特任教授。1957年東京都生まれ。精神科医、医学博士。専門は児童青年期の精神保健。おもな著書に「子どものミカタ」(日本評論社)、「母が認知症になってから考えたこと」(講談社)、「芝居半分、病気半分」(紀伊國屋書店)、「世界一やさしい精神科の本」(斎藤環との共著・河出文庫)など。