子どもは3密で育つ!?~コロナ時代の学校から フォロー

職員会で白熱した議論が消えたわけ~「開かれた学校」の呪縛

岡崎勝・小学校非常勤講師、雑誌『お・は』編集人
 
 

 前回、教員の多忙化について、授業が始まる前の子どもたちのケアの複雑さと手間について書きましたが、今回は「情報公開制度」の導入や「開かれた学校」という施策によって生じている多忙化について書きます。

学校作成文書は増え続けている

 気温が上昇し、どんどん暑くなり、学校ではマスクが苦しい。子どもたちに「先生、マスク取っていいですか?」と聞かれるので、「もちろん、熱中症になるといけないからね」と歓迎する。自分で、息苦しいとか、暑いと訴えてくれるのはありがたい。運動会の練習を手伝っているが、勝利しても「やったぁー」とか「わぁーい」と言えないのがつらいというか、変! 連休明けの運動会練習は69歳の私にはかなりキツイ。4月の超多忙だった疲れが残ったままだ。職員室はため息合唱隊になっている。

 ところで、教員が忙しくなった理由で、よく言われるのが学校の文書が多くなったということだ。1990年ごろからだろうか。その引き金になったのは、インフォームドコンセント(情報の公開と納得を得る責任)を学校で重視するようになったことが挙げられる。

 民主主義国家において情報の公開は当然のことであり、それに伴う説明責任が必要であることは言うまでもない。だが、問題はそれほど単純ではない。情報公開制度を支えるだけの態勢が学校にできていないところに問題があるのだ。

メモも公開を前提に

 保護者や市民には、学校教育に関する情報を知る権利があり、「行政機関の保有する情報の公開に関する法律」(2001年4月施行)によって公的文書は公開させることができる。たとえば、職員会でどのような論議がされているかということや、研修の内容などである。

 この法律ができるまでは、学校の職員会議録などは裁判で論議されるときに提出されるくらいで、ほぼ一般の市民が見ることはできなかった。また、学校で起きた体罰や不祥事が保護者にきちんと説明されず、隠蔽(いんぺい)されることも少なくなかったと思う。

 だが、情報公開制度の意義が社会的に認知され始めてからは、隠しごとは保護者の信頼を得られず、学校にとってマイナスになるということが言われ始めた。

 そして、学校では職員会議録は公開前提で作らなければならなくなった。もちろん極めて個人のプライバシーに支障のある内容は黒塗りにしたが、それ以外は、メモさえも公開対象になると私は教えられた。

 校長が職員会で「みなさんのメモさえも情報公開の対象になるので、不用意なメモはしないでください。記録者もできるだけ論議を精査し、あとでトラブルの起きるような記録は避けてください」と言った。ここまで言われれば、メモを取る教職員はいなくなる。

波風立てない議論に終始

 子どもについて論議するときは、いい話ばかりではない。万引きや不法行為、暴力などさまざまなネガティブな意見や感想などの話がたくさん出る。子どもへの印象も指導も教員によってさまざまだ。

 たとえば「この児童への指導は、限界があるので、親に責任を取ってもらう方向で対応すべきだ」と意見が出たとする。すると、発言した当人は「あっ、こういう意見は無責任と取られ、まずいかもしれませんね。記録しないでください」とか、あるいは「当該の子どもの親に情報公開して、この意見を読まれたら抗議してきますよね」などという声もよく出た。

 つまり、情報公開は教師の「責任回避」を促し、「指導力のない教師たち」などとラベリングされることを恐れさせる。

 よく考えれば、論議中の一つの意見なのだから、そういった意見はあって当然だ。未熟な意見や乱暴な意見、軽口、冗談や皮肉…

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小学校非常勤講師、雑誌『お・は』編集人

おかざき・まさる 1952年、愛知県生まれ。愛知教育大学保健体育科卒業。小学校教員(40年以上)を経て、現在は非常勤講師。学校・子育てマガジン「おそい・はやい・ひくい・たかい」(ジャパンマシニスト社)編集人。「ちいさい・おおきい・よわい・つよい」(同上)編集協力人。2020年8月から動画投稿サイト「ユーチューブ」で15分授業「おかざき学級」https://japama.jp/okazaki_class/ 公開中。近著に「子どもってワケわからん!」「学校目線。」など。