いきいき生きる 糖尿病のトリセツ

やめられない? インスリン注射の誤解

矢部大介・岐阜大学糖尿病・内分泌代謝内科学教授
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1日1回、インスリン注射をおなかに打つだけで、血糖値のマネジメントが楽になった=2011年8月、小島正美撮影
1日1回、インスリン注射をおなかに打つだけで、血糖値のマネジメントが楽になった=2011年8月、小島正美撮影

 「インスリン治療を始めると一生やめられないのですか?」。糖尿病の飲み薬を複数使用しても治療目標が達成できない方に、インスリン注射をすすめる際、しばしば受ける質問です。糖尿病は慢性疾患といわれ、一生向き合わないといけないイメージもありますが、実際のところ、どうなのでしょうか。医療機関に通院中の糖尿病のある人の15%以上が使用しているインスリン注射について、その発見の歴史やインスリン治療に関する最近の知見をお話ししながら、答えていきたいと思います。

血糖値を下げる物質の発見から1世紀

 今年はインスリン発見から101年にあたります。1921年、カナダ・トロント大学のフレデリック・バンティング博士は、イヌの膵臓(すいぞう)から抽出した物質が血糖値を低下させることを世界で初めて明らかにしました。翌22年には米国イーライリリー社が、ブタ膵臓から抽出したインスリンの製剤化に成功し、不治の病であった糖尿病から大勢の命を救うことが可能になりました。ただし、当時のインスリンは、不純物も多く含まれていたため、注射部位が腫れることも多々ありました。また、比較的太い注射針をもちいて5cc近い液体を注射しなければなりませんでした。

 国内でも、23年に東北帝国大学医科大学の熊谷岱蔵博士らが、インスリンの抽出に成功していましたが、治療にもちいるレベルには至らず、高価な輸入品に頼る必要がありました。34年にはブタやウシの膵臓から抽出した国内初のインスリン製剤も登場しましたが、第二次世界大戦がはじまり、家畜資源が乏しい国内の事情も相まって、一時はクジラの膵臓から抽出したインスリン製剤が使われることもありました。

遺伝子発見で飛躍的な製剤開発

 70年代後半、ヒトのインスリン遺伝子が発見されると大腸菌や酵母をもちいてインスリンを無尽蔵につくることが可能になりました。さらに、遺伝子工学を駆使することで、さまざまな特徴をもつインスリン製剤が開発されるようになりました。

 もともと、膵臓から分泌されるインスリンには、一日中ほぼ一定量が分泌される「基礎分泌」と食事などで血糖値が上昇した際に分泌される「追加分泌」があります。インスリン製剤を使用する治療では、糖尿病のない人にみられる「基礎分泌」と「追加分泌」のパターンを再現することを理想としていますが、さまざまなインスリン製剤を組み合わせることで、足りないインスリンを足りない時間帯に的確に補充することができるようになりました。

 日本では、長らく糖尿病に対してインスリン製剤の自己注射が健康保険で認められず、医療機関に毎日通院する必要がありました。しかし、国保浅間病院(長野県)の吉沢國雄医師らの尽力で81年以降、インスリン製剤の自己注射が可能になっています。

インスリン注射が必要なケース

 糖尿病は血糖値が上昇する原因により1型、2型などに分類されます。日本では9割以上が2型です。1型では、ウイルス等から体をまもる免疫細胞が、インスリンをつくる膵臓のβ(ベータ)細胞を攻撃し、β細胞が減ってしまうため、多くの場合、インスリン治療が必須となります。

 2型では、インスリンを十分につくることができない体質に過食や運動不足などでインスリンが効きにくくなる状態が加わり、血糖値が徐々に上昇します。したがって、2型では、健康的な食事や運動の実践、必要に応じた経口糖尿病治療薬の使用によって、目標の血糖値を達成できる場合が多くあります。

 しかし、さまざまな理由で高血糖が長期間続いている場合には、膵臓で十分なインスリンをつくれず、またインスリンの効きも悪くなるため、一時的にインスリン注射が必要となる場合が少なくありません。…

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矢部大介

岐阜大学糖尿病・内分泌代謝内科学教授

やべ・だいすけ 1973年生まれ。98年京都大学医学部卒業、2003年テキサス大学大学院修了。関西電力病院糖尿病・内分泌・代謝センター部長、関西電力医学研究所副所長、京都大学医学研究科糖尿病・内分泌・栄養内科学特定准教授などを歴任し、18年から岐阜大学医学系研究科糖尿病・内分泌代謝内科学、膠原病・免疫内科学教授。岐阜大学病院では副病院長や医療情報部長、国際医療センター長を務める。 糖尿病や肥満症、栄養が専門。糖尿病や肥満症の予防、治療として注目される「食べる順番」や食習慣と薬物療法の関係性など、食事療法を中心に臨床研究を展開する。血糖値をコントロールするインスリンを分泌する膵ベータ細胞、インスリン分泌を促す「インクレチン」という物質の基礎研究にも従事。日本糖尿病協会の活動を通して、糖尿病の正しい知識の普及啓発や糖尿病教育・支援にたずさわる人材育成、糖尿病の重症化を防ぐ地域連携にも精力的に取り組む。