先日、1人暮らしをしていた叔父が、自宅浴室で、遺体で発見されたというお話をしました。今回は、番外編でその顚末(てんまつ)をお話しします。

叔父の孤独死

 最初に警察の電話を受けてから数日後、あらためて、検死の結果、遺体が叔父のものであることが確認され、死因について事件性はないということになったので遺体を引き取りに来るようにという連絡がありました。遺体は腐乱していて見ることができないので、葬儀社の人を同行して納棺し、そのまま火葬場に移送するようにと助言されました。私は、インターネットで地元の葬儀社を選び、電話で依頼して警察署の前で待ち合わせました。孤独死が珍しくない今日、葬儀社はこういう事例に慣れているらしく、遺体から腐敗した体液や異臭が漏れないようにする特別な袋を用意していて、そこに遺体を納めてからひつぎに入れてくれました。その場で、火葬場の予約を取り、火葬の日まで、遺体を預かってもらうことにしました。

 警察の説明は、「某日、地区の民生委員から叔父宅の郵便受けに新聞がたまっているという通報があり、警察が臨場し、鍵のかかっていなかった台所のドアから屋内に入り、浴室で死んでいる叔父を発見した。遺体の腐乱が進んでおり死因の特定に手間取ったが、結局、他殺の痕跡はなく、状況から考えて、10日ほど前に、何らかの原因によって浴室内で心肺停止を起こし、そのまま死に至ったものと推定される」というものでした。

 最初に異変に気がついたのは、風呂場の電気がつきっぱなしであることを不審に思った隣家の主婦でした。最初はあまり気にもとめていらっしゃらなかったそうですが、日が経つうち、だんだん不安になって民生委員に相談。民生委員が新聞が10日前からたまっていることを確認して、警察に連絡、遺体を発見、という経緯だったようです。

親族にのしかかる死後の負担

 叔父は、大学生のころ、アジア大会で、走り幅跳び、やり投げ、200メートル競走、円盤投げ、1500メートル競走の5種目を1日で行う陸上の五種競技で入賞したこともあるスポーツマンでした。生涯独身でしたが健康には恵まれ、経済的にも余裕があったので、60歳で定年退職後は一切仕事をせず、混雑する土日以外は会員になっているゴルフ場を順番に回り、ほぼ毎日スイミングクラブに通い、ジョギングをし、84歳とは思えない体力を誇っていました。ゴルフはシングルプレーヤーで、何回かクラブのチャンピオンにもなりました。

 年に1、2度食事を共にする私たちが知る限り、叔父は亡くなるときまで大病を知らず、これと言って薬を服用していることもありませんでした。死亡推定日の直前にも電話で話をしていたので、叔父の死はまさに、人もうらやむピンピンコロリだったのです。しかし、独居老人のピンピンコロリは、残された親族にとってはとても厄介なものでした。

 まず、社交の範囲がまったく分からないので、叔父の死去をだれに通知すべきなのかが皆目わかりません。やむを得ず、数日後、近い親戚だけが集まって遺体を火葬し、遺骨は納骨までお寺で預かってもらうことにしました。死亡のあいさつは、家の整理をして年賀状でも出てきてからにしようということでペンディング(保留)になりました。しかし、火葬場に集まった私たちの前には、さらにいくつもの面倒な問題が山積していました。

不毛で膨大な手続きを強いる行政

 最初の難題は、…

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斎藤正彦

東京都立松沢病院名誉院長・精神科医

私は、サンフランシスコ講和条約の年に千葉県船橋市で生まれた。幼稚園以外の教育はすべて国公立の学校で受け、1980年に東京大学医学部を卒業して精神科の医師となり、40年を超える職業生活のうち26年間は国立大学や都立病院から給料をもらって生活してきた。生涯に私が受け取る税金は、私が払う税金より遙かに多い。公務員として働く間、私の信条は、医師として患者に誠実であること、公務員として納税者に誠実であることだった。9年間院長を務めた東京都立松沢病院を2021年3月末で退職したが、いまでも、私は非常勤の公務員、医師であり、私の信条は変らない。