共に生きる~子育ちの現場から

「もっとグレたかも……」いじめに遭った青年が助けられた“ある場所”

渡部達也・NPO法人ゆめ・まち・ねっと代表
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「たごっこパーク」でカンタ(中央)に話しかける子ども=筆者提供(画像の一部を加工しています)
「たごっこパーク」でカンタ(中央)に話しかける子ども=筆者提供(画像の一部を加工しています)

 国連児童基金(ユニセフ)の研究所が2020年に発表した「子どもの幸福度」に関する報告書で、日本は38カ国中、身体的健康度で1位だった一方、精神的幸福度はワースト2位でした。なぜこんなにも精神的幸福度が低いのでしょうか。静岡県富士市のNPO法人「ゆめ・まち・ねっと」代表の渡部達也さんが、学校でいじめに遭い、劣等感を抱えたある青年のエピソードを紹介しながら、子どもたちの幸福感を高めていくために必要なことを論じます。

子どもたちから慕われる赤い髪にタトゥーのカンタ

 「ねぇ~、一緒に飛び込もっ!!」

 「いやぁ、おじさん、休憩中なんだよねぇ」

 「え!? お兄さんジャン」

 「よーし! お兄さん、飛んじゃうかなぁ」

 僕らが自由な外遊びの環境を提供している「冒険遊び場たごっこパーク」で、小学生の女の子から遊びの誘いを軽妙に受けたのは、髪を真っ赤に染めあげたカンタ。

 カンタは先日、子育て情報誌の取材に対して、こんな話をしてくれていました。

 「たごっこパークに出会ったのは小学5年生の時なんですけど、そのころはイジメにあっていて、学校に行くのが本当にイヤだったんすよね」

 赤い髪、耳たぶには大きなピアス穴、そして、ファッションタトゥー。その風貌からは意外という雰囲気で、取材記者がペンを走らせます。

 「かといって、家も親が離婚してて、それぞれの都合で今日はお母さんとこ、明日はお父さんとこ、みたいな感じで。そういうのを『たごっこ』に来ると全部忘れられるというか、考え込まずに済むって感じでしたね」

 カンタのお母さんは水商売に従事しており、お父さんは廃品回収を生業(なりわい)としていました。どちらも毎月の収入は安定していません。カンタが話を続けます。

 「中学になるとうつみたいになってきて、学校へは行かなくなって。うつなのに、同時にグレるみたいになっちゃって(苦笑)。でも、ここがなかったら、うつももっとひどくなってただろうし、グレ方ももっとひどくなってたんじゃないかな」

 カンタが言う通り、小学生の時は、自由な外遊びの環境を満喫していました。何十本ものペットボトルを板に貼り付けて作ったいかだで川遊びをしたり、遊具として使っているリヤカーで公園から少し離れたスーパーまでみんなと買い出しに行ったり。

 中学生になって、精神的にさらにしんどくなっていった時期も、たごっこパークの開催日(隔週末)にはいつも来ていました。

 「カンタぁぁ、ここ、切るの手伝って~!」

 廃材工作で悪戦苦闘していた男の子がカンタに助けを求めます。

 「ここねぇ、節があるでしょ。こういうところは切れないんだよ。これ、オレでも切れないから、別の板で作ろうか」

 広場から女の子たちが声をかけます。

 「カンタぁぁ、リヤカー引っ張って~!」

 「よーし、リヤカーをオレのチャリ(自転車)にくっつけようか。たっちゃん(筆者の愛称)、倉庫のロープ、使うねぇ」

 一見すると、年下の子どもたちの遊び相手をしてあげる年上のお兄ちゃんという構図です。子どものお母さんたちも異口同音に「カンタくんって面倒見がいいですよね」「いつも遊び相手をしてくれて助かってます」と言います。

 でも僕は…

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渡部達也

NPO法人ゆめ・まち・ねっと代表

わたなべ・たつや 1965年静岡県三島市生まれ。茨城大卒。88年静岡県庁入庁。児童相談所ケースワーカーや大規模公園「富士山こどもの国」の設立・運営、国体および全国障害者スポーツ大会の広報などに携わる。「まちづくり」という夢を追い求め、2004年に16年余り勤めた県庁を退職。同県富士市に移住し、同年秋、妻・美樹と共にNPO法人「ゆめ・まち・ねっと」を設立。空き店舗を活用した放課後の居場所「おもしろ荘」や地元の公園と川で自由な遊びを楽しむ「冒険遊び場たごっこパーク」、「0円こども食堂」などの開催を通じて、子どもの遊び場づくり・若者の居場所づくりに取り組む。里親として虐待を受けた子どもの社会的養育にもかかわっている。愛媛県松前町が創設し「義農精神」(利他の精神)を体現する活動に取り組む個人・団体を表彰する第1回「義農大賞」など受賞多数。 著書に「子どもたちへのまなざし-心情を想像し合い 積み重ねてきた日常 切れ目のない関係性-」(エイデル研究所)。