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「生きているのが不思議」 絶望の底から移植を決意させた恋人の言葉 <連載2回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
病院のベッドに横たわる森原さん=本人提供
病院のベッドに横たわる森原さん=本人提供

 広島市の元高校教諭、森原大紀さん(33)は数年前に脳死患者からの心臓移植手術で救われた。教員になって2年目の冬、心臓病の兆候が表れ始め、せきが止まらず「ぜんそく」と診断された。しかし、症状は悪化の一途をたどる。元レスリング選手で体力と健康に自信があった森原さんだが、一冬越えた4月、決定的な異変が生じた。

「息が止まっている」

 4月3日、高校は春休み期間中だった。自宅近くにある実家のソファで横たわり、うとうとしていた。

 そんな息子の異変を母のゆう子さん(63)が察知した。足がひどくむくみ、腫れ上がっていたのだ。足湯をしてケアしたが、ひく気配はない。我が子の体を案じ、不安を膨らませる。すると、無呼吸状態が長いことにも気付いた。

 「ねえ、起きて! 息が止まっているわよ!」

 危機感を覚えたゆう子さんはウェブサイトで夜間診療所を探した。

 「すぐ病院に行こう」

 しかし、ぜんそくだと信じ込んでいた森原さんは渋った。「病院に行かなきゃ!」。ゆう子さんが語気を強めた。「行くだけ行くか」。森原さんはようやく重い腰を上げた。

 それまで、どんなにつらくても「ぜんそくの人ってこんなに苦しいのか」と思うばかりで、病院を受診しようとは思わなかった。

 「健康優良児のスポーツマンだったからこその落とし穴にはまっていた」

 夜間診療所でレントゲン撮影をした後、表情をこわばらせた医師が口を開く。

 「心臓が肥大し、生きているのが不思議なくらいです。ここでこうしている場合では…

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東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。