
部活動の指導を学校から地域へ移すことが国で議論されています。休日など時間外の活動が多く教員の働き方改革に逆行することや、少子化に伴う部員不足などにより学校単位での活動が難しくなっているためです。部活動というと、中学・高校時代を思い浮かべる人も多いと思いますが、名古屋市をはじめいくつかの政令指定都市などでは小学校でも4年生になると部活動が行われてきました。小学校の学習指導要領に部活動の記載はなく、学校や地域に任されてきました。これまで教員の多忙化について課題を指摘してきたベテラン教員の岡崎勝さんが、部活動について語ります。
勝利至上主義とは無縁
教員の多忙化の大きな原因の一つと言われている「部活動の指導」について論じてみる。まず、部活動の実態は地域によってかなり違う。小学校と中学校でも違いはあるし、小学校では部活動がなく、子どもたちは地域のスポーツ少年団に所属しているような地域もある。
しかし、学校の部活動の実態を大きく分ければ、競技力向上・成績優先・勝利至上主義的な部活動と、趣味クラブ的なゆるい部活動がある。今回はまず、あまり論議されないゆるい部活動から考えてみよう。
私自身は新卒以来、教育系大学の体育科出身ということもあって重宝がられ、通年、なんらかのスポーツ系部活動の指導にあたっていた。ただ、ゆるい部活動を心がけていたので、日曜日や早朝の練習はしなかった。年に数回、土日や夏休みに実施される地区大会参加、試合審判、会場運営にかり出されることもあったが、都合が悪いときは、それも断っていた。多少嫌な顔をされることもあったが、都合がつかないのだからしょうがない。
自由で気楽なのは無償ボランティアだから
そもそも、部活動は基本的には、本務でなく無償のボランティアである。だから、自由かつ気楽に取り組めた。加えて、勝利至上主義的な考えは一切なかったので、楽しむことはあってものめり込んだり、過熱してトラブルになったりすることはほとんどなかった。
自分の子どもに手がかかるようになってから部活指導をやめた。子どもを保育園や実家に送迎するためには勤務時間終了後に部活動はやっていられなかったからだ。無理に部活指導をしていれば、自分の健康をはじめ家庭や趣味など「仕事以外の大事なこと」がおろそかになることは目に見えている。そんなことくらい誰でも分かる。
だから、指導を担当する教員がいなくなれば、部活動が消滅するのは当たり前と思っていたし、基本的にボランティアでやっているのだから、指導顧問を辞しても校長や同僚にとやかく言われる筋のものではない。私の場合も顧問をやめたときは「いままで、ご苦労様でしたね」と同僚や保護者たちに言われただけだ。
部活指導は教員の主たる仕事ではない
自分自身、サッカーは好きでずっとやってきたし、スポーツは嫌いではない。運動不足も解消するし、気分転換にもよかった。何より、子どもたちと無邪気に楽しめる。部活指導をやめると言ったとき「週に2日くらいでも無理ですか」と子どもたちに言われたので、校長に伝えた。校長が他の教員に代行を打診すると、「週2日くらいならいいよ」という教員がいたので、校長が指導を依頼していた。
ところが愛知県では「中学校生徒は全員部活動加入が原則で、すべての教員が何かの部活の指導をすべきだ」という学校もあったので、びっくりしたことがある。友人がそういう学校に勤務していて「部活指導なんてしたくないのに、バスケット部を指導しろと言われた」と言うので、私も一緒に、強制しないように校長にかけあってみたところ、「分かりました、あくまでお願いですからいいですよ」と承諾してもらった。
それは、当然である。「部活指導は教員の主たる仕事ではない」のであって、あくまで「ボランティア」なのである。ナチスの「労働奉仕隊」でもあるまいし、強制されるボランティアなんてあり得ないし、無理やりさせられるはずがない。
スポーツ系部活の「暗さ」
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