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補助人工心臓を埋め込み教員に復帰 「もう後戻りできない」 <連載3回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
苦しかった。しかし、家族といる時は気丈に振る舞おうと努めた=本人提供
苦しかった。しかし、家族といる時は気丈に振る舞おうと努めた=本人提供

 広島市の元高校教諭、森原大紀さん(33)の本格的な闘病生活が始まったのは、教職に就いてから3年目の春だった。緊急入院した病院で心臓の難病「特発性拡張型心筋症」と診断され、移植以外に助かる道がないと告げられた。「家族のために生きる」。移植を受ける決心をしたが、病状は思った以上に深刻で予断を許さなくなっていた。

大都市の病院に転院「何が何でも生きたい」

 広島市内の総合病院に入院して2カ月近くたった5月、主治医から大都市の大病院の受診を勧められた。

 「教育入院のようなもの」と言われ、「それなら行ってみよう」と応じたが、待っていたのは厳しい現実だった。医師が言う。

 「植え込み型の補助人工心臓(VAD)を付けないと命がもたない」

 すでに心臓が2割程度しか機能せず、肝臓や腎臓などにも影響が出ていた。大病院には新幹線とタクシーを乗り継いで向かったが、移動すら危険だった。利尿剤が一気に増えた。

 当初は「機械を埋め込むのだけは嫌」とVADも拒み続けたが、社会復帰への望みもかけて受け入れた。

 8月にVADの埋め込み手術を受けた。術後に麻酔から覚め、へその横から伸びるVADのケーブルを見て、生への執念が強まった。

 「もう後戻りはできない。何が何でも生きたい」

 脳血栓や脳出血などの合併症が起こりやすい容体だと説明され、“死と隣り合わせ”の恐怖と戦っていた。…

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東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。