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心臓移植を経て伝えたいこと 「一人では生きていけない」 <連載番外編1回目>

倉岡 一樹・東京地方部記者
中学生に自身の体験を話す森原大紀さん=神奈川県二宮町の二宮西中学校で2022年7月12日、和田大典撮影
中学生に自身の体験を話す森原大紀さん=神奈川県二宮町の二宮西中学校で2022年7月12日、和田大典撮影

 本連載では、脳死患者からの心臓提供で救われた広島市の元高校教諭、森原大紀さん(33)の体験を通じて、移植を待つ患者の葛藤や生きる希望とともに、移植医療の未来の可能性を描いてきました。連載番外編として、森原さんに臓器移植への思いや啓発活動への熱意を聞くとともに、日本における心臓移植の現状を振り返ります。

 ――移植手術後、よく胸に手を当てるようになったそうですね。

 ◆仕事に復帰できた時、無理をして体調を崩してしまった時……。ドナー(臓器提供者)さんが常に一緒にいてくれ、喜怒哀楽を共有している感覚があります。子どもと接している時もドナーさんの存在を強く意識します。(第2子の)長男が生まれてまだ日が浅いのですが、何気ない瞬間に「ドナーさんの善意とご家族の皆さんの決断が僕を生かし、子どもへと命がつながった」との感謝に満ちあふれます。ドナーさんは私と二人三脚で生きてくれ、子どもたちへと命のバトンをつないでくれました。

「ドナーと家族に敬意を」感謝の気持ちも忘れずに

 ――ただ、残念なことに現状の日本はドナーとその家族に冷たい社会です。

 ◆ドナーさんとご家族をたたえる社会づくりに取り組むことが何より大切で、そのサポートをしたい。でも今の日本にはその機運がほとんどありません。だから私はことあるごとにドナーさんとご家族への感謝を口にします。メディアに出る時は必ず「ありがとうございます」と謝意を示します。言葉にしなければ伝わりません。それは臓器移植の啓発を続ける中で得た実感です。私にとって啓発のゴールは活動を「しないこと」です。何をしなくともドナーさんとご家族への敬意が払われる社会の雰囲気や文化を醸成していきたい。

 ――心臓移植待機時代に始めた移植の啓発活動に今も熱心です。

 ◆かつての自分のように臓器移植はほとんどの人にとって関係のないことです。知らないことは怖い。怖いから避けたがる。知らない人が多いから偏見や間違った見方がはびこる。その結果、ボタンの掛け違いのように臓器移植は社会に理解されていません。知ることが何より大切なので、伝え続けなければなりません。

 かつて、待機中に移植を受けられず亡くなった子どもの家族が「日本にいるから助からなかった」と途方に暮れている姿に心を痛めました。この言葉は、日本での臓器移植の立場を物語っています。移植を受けられず命を落としている人が多いことに危機感と疑問を覚えます。「仕方がないよね」で失われる命があまりに多い。「日本だから助からなかった」をなくしたいのです。それは、移植で救われた私がしなければなりません。

 ――無関心は、臓器移植が社会に浸透しない原因の一つですね。

 ◆原因には、制度や組織など多様な問題が横たわっています。ただ、そもそも臓器移植を知らない、知ろうとしない人があまりに多いことが何より社会に浸透していかない障害だと啓発を続ける中で痛感してきました。…

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東京地方部記者

1977年生まれ。早稲田大卒。2003年、毎日新聞社に入社。佐世保支局を振り出しに、福岡報道部、同運動グループ、川崎支局、東京運動部、中部本社スポーツグループなどを経て、19年4月から東京地方部。スポーツの取材歴(特にアマチュア野球)が長い。中学生の一人娘が生まれた時、初めての上司(佐世保支局長)からかけてもらった言葉「子どもは生きているだけでいいんだよ」を心の支えにしている。