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社員ゼロ、オフィスもない会社

野澤和弘・植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
フィルミネーションのホームページより
フィルミネーションのホームページより

 新型コロナウイルスの感染拡大から2年半をへて、社会は大きく変わりました。野澤和弘さんは、求められる仕事も変わり、働く人も変わっていかなければならないと話します。個々人が、能力やスキルを伸ばし、生きがいをつかむには? そのヒントを紹介します。

ポスト・コロナで変わる雇用と暮らし

 新型コロナウイルス禍が長引く中で、私たちの働き方や暮らしは大きく変わった。コロナが落ち着いて自粛が緩和されるようになったとしても、元に戻ることはないだろう。

 オンラインの定着は仕事や社会的活動のあり方が変わるということにとどまらない。あまり気づいていなくても個々の価値観に大きな影響を与えているはずだ。

 横並びの協調性や忍耐を伴う集団主義が日本社会の隅々に深く根を下ろしている。ユニークな発想を封じ込め、子どもたちの感性を窒息させてきた日本社会が変わるチャンスかもしれない。多様性を求める波はコロナでますます勢いを増している。コロナによる自粛生活を一過性のものと思っていたら、世界から取り残されるだけだ。

 製造業だけでなく、日本ならではの強みのある文化や産業はたくさんある。これまでにない働き方や暮らしを模索する動きも広がっている。

ラッシュアワーからの解放

 コロナで大きく変わったのは「場所」をめぐる概念だ。

 自分が所属する会社や団体に毎日出勤し、部署ごとに仕切られた場所で同僚たちと働く。閉じられた部屋(会議室)に集まって話し合う。自宅から電車やバスで通学し、教室で同級生たちと授業を受ける。コンサートホールや競技場に大勢が集まって音楽やスポーツを楽しむ。

 そうした日常の行動様式はあまりにも当たり前のことで、社会の中で生きるというのはそういうことだと信じられてきた。それになじめないとさまざまな場面で不利な立場に追いやられ、「社会的不適合」のレッテルを貼られるのがおちだった。

 感染力の強い新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)してから世界中で自粛を迫られ、私たちの生活は一変した。それまで当たり前のように思っていたことが、実は必然ではないことを知り、これまでとは違うことを体験するようになった。

 観光業や交通機関、飲食業などは大打撃を受け、困窮状態に陥っている人は多い。経済だけでなく、自粛ムードは人々のメンタル面にもさまざまな影響を与えている。抑うつ状態にならないまでも、すぐ近くにいることで以心伝心やあうんの呼吸という絶妙なコミュニケーションができず、ストレスを感じている人は少なくないだろう。

 その一方でオンラインによる在宅勤務が進み、通勤のために満員電車に乗らなくてもすむようになった。ラッシュアワーからの解放である。考えてみれば、どうして毎日ぎゅうぎゅう詰めの電車の中で不快な時間を過ごさなければならないのだろうかと思う。パソコンとWi-Fi環境さえあれば、自宅や近くの静かな場所でいくらでも仕事ができる。会社の労務管理上の都合で出勤時間が決められているのだろうが、そのために犠牲にしているものの大きさを改めて考えるようになった。

オンラインで働く場所が自由に

 コロナによって在宅でのオンライン勤務が認められるようになり、ストレスのない環境、健康、家族とのだんらんなど手に入れたものは多いはずだ。

 地価の高い都市部で狭い家に住み、高い家賃や住宅ローンを払っていたのが、自然が豊かな地方で広い家に住めるようにもなった。それ以前から、環境や住宅事情の恵まれたエリアから新幹線通勤していた人はいるが、コロナになって遠隔地への移住の流れが本格化している。

 国土交通白書(2021年)によると、全国の就業者のうち、新型コロナウイルスが急速に広がり緊急事態宣言が出された20年4~5月の時点でテレワークを利用した人は25%に上った。その後は下がり、12月には16%となったが、コロナ前より高い利用率であり、テレワークが定着していることがうかがわれる。

 東京圏のテレワーク利用率は、12月時点で26%となり、全国平均と比較して10ポイントも高い。

 コロナ禍収束後も見据えたテレワーク利用の方針についての企業に対するアンケート結果では拡大が18%、維持が53%で、両者で全体の7割を占めた。今後もテレワーク勤務を認める動きは定着し、テレワークによる働き方の多様化が継続するのは間違いない。

 国民意識調査で「2地域居住・地方移住」に対する関心の有無を尋ねたところ、関心のある人の割合は、コロナ前は9.2%だったのに対し、コロナ禍が広がってからは12.9%と関心が高まっていることが分かった。

 テレワークの利用日数別での回答結果を見てみると、テレワークをしていない人で関心がある人は10.5%であるのに対し、テレワークを週に1~3日している人は20.6%、週に4日以上している人は17.1%と、テレワーク経験者の方が、「2地域居住・地方移住」への関心が高かった。

 リゾート地で家族などと休暇を楽しみながら、ホテルやリゾート施設のビジネスセンターでパソコンやコピー機を使って仕事をすることを「ワーケーション」という。インターネットが急速に普及した2000年代からアメリカで見られるようになった。

 旅行をしながら場所を固定せずにIT機器を使って働く「デジタルノマド」というライフスタイル、出張先で仕事を終えた後にそのまま休暇を取る「ブリージャー」という制度もある。仕事はオフィスでするものという固定概念にとらわれず、仕事と休暇を両立させてモチベーションや成果を上げようという考え方は広がっている。

暮らしの多様化が価値観も多様に

 オンラインの定着は「場所」の概念を変えるだけではない。自宅から会社への通勤、学校や映画館やコンサートホールや集会場までの移動の時間が大幅に短縮されるようになった。短縮というよりは、移動する時間がなくなった。

 朝起きてパソコンを立ち上げオンラインにつなげば、そのまま仕事や会議や授業に参加できる。電車に乗って、あるいは車を運転して映画館に行き、チケットを買って館内に入らなくても、パソコンやスマホの画面で好きな映画が見られるようになった。

 もちろん、真っ暗な館内の大きなスクリーンと音響で他の観客と感動を共にすることはできない。ロックバンドのライブをみんなで跳びはねながら盛り上がり、野球やサッカーを満員のスタジアムで応援することの楽しみは格別のものがある。

 同じ場所にいる、同じ場所で仕事をしたり、何かを見て楽しんだり、話し合ったりするということで親密で迅速なコミュニケーションを可能にする。表情を見ながら、息づかいを感じながら、相手の気持ちを無意識に感じ取ろうとする。そんなことを繰り返しているうち、おのずと価値観が似たものになってくる。

 お互いの体温を感じない活動に慣れてくると、価値観も少しずつ独自のものが広がっていくだろう。インターネットの登場がマスコミの影響力を低め、それぞれの思想や嗜好(しこう)に合った情報の取り入れ方を広めていった、その流れがさらに加速していくのは間違いない。

 日本のテレビドラマ史上、最も高い視聴率を記録したのは1983年から84年に放送されたNHK連続テレビ小説「おしん」だ。最高視聴率62.9%、1年間の平均視聴率も50%を超えた。まだ家庭にお茶の間があり、家族みんなでテレビを見ていたころのことだ。学校や職場でも人気のテレビ番組がよく話題になった。

 今は2けたの視聴率を稼ぐことができるテレビ番組が少なくなった。家族がそれぞれ自分の部屋でスマホやパソコンでユーチューブを見る、VOD(動画配信サービス)で映画やドラマを鑑賞するのが当たり前になった。社会での「共通の話題」は存在感が薄くなり、嗜好や興味が多様化している。暮らしの多様化は人々の価値観や産業構造に大きな変化をもたらすだろう。 

成長するVOD市場

 日本の映画・映像化作品を世界各国へ紹介し販売する「フィルミネーション」という会社は2019年に設立された。これまで300点以上の作品を海外に販売、延べ約1600万人の視聴者を抱えるVODに日本の作品を届けた。

 情報テクノロジーの進化と普及によって、映画館で鑑賞するのとは別にパソコンやスマホでいつでも好きな映画を見られる時代になった。オンラインで有料動画サービスの世界市場規模は、19年末までに既に7兆円を超えた。27年には22兆円まで拡大の見込みがあるという。所得のレベルを問わず、25~34歳の男女を中心に世界的に利用が広がっているのが特徴で、今後も持続的に成長していくと予想されている。

 ウェブサイトを通じて映画・ドラマ・アニメなどを配信するVODは、「Netflix」「U-NEXT」「Hulu」「Amazonプライムビデオ」などのサービスが知られている。ホラー、LGBTQ、格闘技などを専門分野の作品だけを扱う会社も各国に多数ある。大手と小規模の会社に二分されているのが特徴だ。

 日本の映画やドラマは海外で根強い人気があるものの、有名作品以外は日本国外で視聴することがほとんどできなかった。日本のインディーズ作品などは国外で販売するルートがなく、外国のVODは日本の作品を欲しくても著作権や配給権を持つ人(会社)へアクセスすることができなかったからだ。日本の配給会社も国内マーケットでやっていけるため、英文のメールが届いても放置されることが多いとの指摘もある。

 日本国内では年間500~600本の映画が作成される。映画祭などで1回だけ上映されたものも含んだ数であり、街の映画館で何日も上映される映画はほんの一握りに過ぎない。作られただけでまったく公開されないものも相当数あり、製作費のかからない小作品が圧倒的に多い。作品数を絞り、多額の製作費をかけて海外でもヒットする映画を戦略的に生み出している韓国とは対象的だ。

 ただ、製作費をかけた大作だからといって海外で人気が出るとは限らない。フィルミネーションの場合、日本国内の作品を集めて海外に紹介し、各国のVODから購入価格を提示してもらい契約しているが、無名の監督の作品が高額で売れたり、昔の時代劇が求められたりすることが珍しくない。

 直接各国のVODとネットワークを結んでいるため、多様なニーズに応えられるのが強みだ。

 日本の映画製作の裾野の広さは、多様な作り手によって構成されている。ふだん農業をやりながら何年かに1度映画を作ったり、資産のある親から援助を受けて製作したりする監督もいる。大学生が作る映画も少なくない。ハリウッドに対抗できるような大作は生まれなくても、知られていない傑作がたくさあるという。

社員がいない会社

 フィルミネーションを設立した金丸洋明さん(48)は静岡県清水市(現静岡市)出身、上智大学文学部を卒業後、プリントクラブ俱楽部を開発したゲーム会社アトラス、楽天、マイクロソフトを経て、2007年に五反田電子商事の前身であるオイシックスECソリューションズを立ち上げた。セブン-イレブン・ジャパン、良品計画、ダイドーリミテッドをはじめ多数企業のECコンサルティングに従事し、オンラインチケット決済サービス最大手の「イベントレジスト」など多数の企業を創業した。

 海外にも活動の場を広げ、インドネシア、シンガポール、台湾などでIT系の企業を次々と創設。13年の大相撲ジャカルタ巡業をイベントの主管として成功させた。

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植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員

のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社 会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集 部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表 として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさ しい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問 (非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員、内閣府 障害者政策委員会委員なども。著書に「スローコミュニケーション」(スローコ ミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、 生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「あの夜、君が泣いたわけ」 (中央法規)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。