
「過去にこだわらず、未来を向いて生きなければ」と考えがちな私たち。しかし、国内外のさまざまな研究により、過去に思いをはせる「回想(ライフレビュー)」と脳の健康に、密接な関係があることがわかってきました。脳の若さを保つうえで、「ノスタルジア(nostalgia)」が果たす大切な役割とは――。東北大学加齢医学研究所教授、瀧靖之さんに聞きました。
思い出にひたる脳がもらえるご褒美とは
「子どもが独立したので引っ越すことにした」「親が亡くなり、実家を整理しなければならない」
人生の節目にあたり、中高年世代が向きあうことになるのが“お片付け”の問題だ。ため込んだ本や漫画、結局使わなかった健康器具、昔好きだったアイドルのお宝ポスターなどに別れを告げ、生まれ変わった気持ちですっきりシンプルに暮らそう、と決意する人も多いだろう。
だが、思い出深いものまでやみくもに捨てるのは、思いとどまったほうがいいかもしれない。というのも脳の健康を保つには、過去を振り返るための小道具が欠かせないからだ。
認知症治療の臨床現場で用いられる「回想法」という心理療法をご存じだろうか。昔の写真や若い頃に聴いた音楽などをもとに過去を回想し、心理的な安定や脳の活性化を図る治療法だ。1960年代にアメリカの精神科医、ロバート・バトラーが提唱した。認知症だけでなく、うつ病の治療や終末期医療でも活用される。
「過去を懐かしむこと、つまりノスタルジアが役立つのは医療現場だけではありません」。瀧さんは強調し、脳の健康を保つため、幅広い世代の人に日々実践してほしいと話す。
なぜ、ノスタルジアが脳を元気にするのだろう?
「元気のカギを握るのが、中脳のドーパミン神経から分泌される神経伝達物質『ドーパミン』です。快感物質とも呼ばれるドーパミンは、気持ちを高揚させてヤル気を促し、運動機能にもよい影響を与えることがわかっています」と瀧さん。
ドーパミン神経が活性化するのは、心理学でいう「報酬」が得られたときだ。ゴルフでいいスコアを出したときや、仕事が評価されたとき、ファッションを褒められたときなどに、心がウキウキと晴れやかになった経験はないだろうか。こうした瞬間、脳内ではドーパミンがおおいに分泌されている。まさに「気持ちよさ」というご褒美がバラまかれた状態になるのだ。
興味深いことに、回想しているときも脳内の報酬にかかわる領域が活発化していることが、脳医学の研究から明らかになっている。このため、ノスタルジアはドーパミンを放出させ快感を引き起こすと考えられている。
さらにシンガポール国立大学ほか、さまざまな研究からノスタルジアによって「主観的幸福感」が高まることもわかってきた。主観的幸福感とは収入、学歴、健康状態といった客観的な条件とかかわりなく、「自分は幸せ」と感じられる状態だ。
主観的幸福感が高い人は、ネガティブな状態にあるときに活性化する脳の領域をうまく鎮めることができる、と瀧さんは説明する。
「ストレスに長期間さらされると、…
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