
森友学園への国有地売却をめぐる財務省の公文書改ざん問題に関連して、上司の指示と正義感の板挟みになり、近畿財務局の職員が自殺しました。その遺族が、国と元財務省理財局長を訴えた過労死裁判で、2021年12月15日に、国が「請求の認諾」をしたという報道がありました。
記憶していらっしゃるでしょうか。これは、とても重大な問題だと思うのですが、私の記憶する限り、マスコミの扱いは、決して大きいものではありませんでした。「認諾」とは、被告の側が原告の主張を全面的に認め、要求に沿った賠償金を払って裁判を終わらせることです。
しかし、この唐突な認諾は、被告である国が改ざんの事実を認め、それが原因で一人の職員が自死に至ったことを真摯(しんし)に反省し、原告の早期救済を願って行われたとはとても思えません。
もしも裁判が続いていれば、国と元理財局長は、被告として出廷し、虚偽の証言はしないという宣誓の下に、公文書改ざんの有無について証言しなければなりませんでした。
原告遺族の願いも裁判によって事実が明らかにされることでした。ところが、国は法廷で、森友学園への国有地払い下げ問題に関連した不都合な真実を語る必要がなくなりました。この認諾は、事実を闇に葬ることを目的としていたと言わざるを得ないのです。ちなみに、この時、国が支払った賠償金は全額私たちの税金です。
それからおよそ1年が過ぎた22年11月25日には、東京地裁がこの裁判における元理財局長による文書改ざんに関する部分についても、「公務員個人が賠償責任を負うことはない」という理由で訴えを却下しました。
つまり、ここでも法廷で真実を語らせたいという遺族の思いは門前払いを食らったことになります。公文書改ざんは明らかな違法行為です。違法行為をした公務員個人がその責任を負わずして誰が責任を負うのでしょう。
日本国憲法第32条は、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない」と規定しています。これは、裁判が、国民の基本的人権を守るための重要な武器だからです。刑事事件においては、裁判を通じて有罪・無罪について公正な判断を求めると同時に、リンチのような恣意(しい)的な報復から守られるということを意味しています。
民事事件では、権利侵害の救済手続きを求める権利を保障すると同時に、私人が直接、強制的に損害を賠償させる行為を禁じているということになります。行政事件についても同様に、国民が行政処分等の妥当性について公正な判断を仰ぎ、公正な行政措置が行われるよう求める権利を保障しています。
そのため、憲法第76条では、司法権の独立を定め、第81条では、最高裁判所に違憲立法審査権を与えて、裁判所が政治家や政府にそんたくせず、国民の、基本的人権を守るために正しい判断ができるよう、保障しているのです。
先の裁判における国の認諾と東京地裁の請求却下は、憲法の精神を踏みにじる行為として、もっと糾弾されてしかるべきでした。
刑法39条がはらむ問題
ところで、私たちの周りには、「裁判を受ける権利」を制限されている人がたくさんいます。
刑法犯として逮捕されたものの精神鑑定によって刑事責任能力なしとされた精神障害者と、家庭裁判所によって成年後見人を指名されている人(以下、被後見人)です。…
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