
日本の障害者福祉はこの20年足らずで大きく変わった。マスコミはあまり報道しないので一般的にはあまり知られていないが、障害者自立支援法(2005年)が始まる前の障害者福祉予算は約4600億円だったのが、このところ毎年約1000億円ずつ増加しており、17年で5倍にもなった。予算が増えればいいというわけではないが、放課後等デイサービスやグループホームや就労系のサービスは飛躍的に伸びてきた。
以前には社会から置き去りにされてきたような貧しい障害者福祉だったが、今や収益目当てのいかがわしい会社が続々と参入するという皮肉な現象が起きている。
それでもまだまだ課題は残っている。その一つが強度行動障害といわれる状態の人々への支援だ。厚生労働省は支援者養成に力を入れ、熱心な事業所の中には改善の成果を見せているところもがあるが、十分とは言えない。強度行動障害こそ最優先に取り組まなければならない課題だ。
強度行動障害とは何か
自分の体をたたいたり、食べられないものを口に入れる、危険につながる飛び出しなど、本人の健康を損ねる行動、他人をたたいたり物を壊したりする、大泣きが何時間も続くなど、周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動――。これらの行動が高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている状態のことを強度行動障害という。
強度行動障害を起こすのは知的障害や自閉症の人が多く、推計2万5000人は全国にいるとされている。このうち自傷、他傷、こだわり、もの壊し、睡眠の乱れ、異食、多動など本人や周囲の人のくらしに影響を及ぼす行動が高い頻度で起こり、困難性が高い人と思われる人は8000人くらいとされる。
家庭や施設では力で押さえつけたり、縛ったり、カギのかかった居室に閉じ込めたりすることもある。これらは身体拘束と呼ばれ、「切迫性」「非代替性」「一時性」の3要件を満たした場合のみ「やむを得ない行為」として認められるが、人手不足や支援スキルがないため安易に行われているのが実情だ。家族やスタッフが感情的になって殴るといった虐待も少なくない。
自治体や虐待防止センターへの通報は年々増加しているが、被害者の3割前後に行動障害があることが確認されている。自傷他害、パニックなどの行動障害を起こす利用者の対処に支援現場は疲弊し、安易な身体拘束や虐待が起きていることがうかがわれる。
特に激しい強度行動障害のある人は福祉施設やサービス提供事業所から敬遠されることが多く、熱意のある施設や事業所に利用者が集中する傾向がある。こうした施設・事業所ではスタッフが追い詰められて休職・退職することが少なからず見られ、運営が立ち行かなくなるリスクを抱える、という悪循環が起きている。
サービス利用ができないと家族が抱え込まざるを得なくなり、家族内介護のため仕事を失ったり、健康を害したりして、家族の崩壊や親子心中などの悲劇が今も起きている。
原因と対処方法
厚生労働省は毎年のように研究班を設置して強度行動障害に関する調査研究に取り組んできた。福祉サービスの報酬改定の度に行動障害のある利用者への単価が引き上げられてきた。グループホームや施設入所、生活介護などの場で行動障害を伴う重度障害者を引き受け、改善に成果を上げているところも増えている。
障害者虐待防止法が施行された2011年から強度行動障害に対応できる支援者の養成講座も各地で行われ、多数の現場スタッフが受講している。
それでも研修の効果は限定的で、現場の支援力が高まっているとは言い難い。
強度行動障害は生まれつきの障害ではなく、周囲の環境や関わり方によって引き起こされることがわかっている。緊張や不安から行動で自分の気持ちを表し、それでも事態が改善されないと激しい行動になり固着化していくために起きるとされている。
幼少期や学齢期に周囲の無理解や不適切なかかわりによってストレスを感じている子どもは多い。本人は何とか自分の希望や気持ちを伝えようとして自分なりの行動を取るが、その行動が他害や物壊しのようなかたちで表れると、周囲はその行動を止めようと無理やり制止したり、逆に本人の希望することを何でも認めてしまったりする。そうなると本人はますます激しい行動で自分の希望や気持ちを表すようになる。
重度知的障害や自閉症の特性がよく理解されていないことが、行動障害がエスカレートしていく構造の核心だ。特性とは「社会性」「コミュニケーション」「想像力」「感覚」「認知・記憶」「注意・集中」「運動・姿勢」などであり、本人の特性に合わせた環境の調整や支援のあり方を考える必要がある。
SPELLで支援
イギリス自閉症協会(NAS)が提唱しているのが「SPELL」といわれる支援のあり方だ。
構造化(Structure)、肯定的に(Positive)、共感(Empathy)、穏やかさ(Low arousal)、つながり(Links)の頭文字から名づけられた。
・Structure 予測可能であり、見通しが立っていること。理解可能であること、安心できる環境であることが重視される。情報を整理し混乱を最小限にした環境の設定をする。
・Positive 肯定的な雰囲気や接し方を大事にする。無理な要求や課題設定をすることや、高圧的・威圧的な態度をとると、それだけで不安や緊張が強まり、本来持っている能力を発揮しづらくなる。
・Empathy 障害特性をよく理解したうえで共感をすること。障害のない人なら気にならないようなことが苦痛や混乱の要因となる場合があることを知る。
・Low arousal 声のトーン、表情、態度などを穏やかにするということ。大声で圧迫するような態度をとったり、厳しく指導したりすると、その場では、指示に従うことや、問題が解決したように見えることもあるが、支援者に対する恐怖心から従っているだけであることを理解する。
・Links 周囲のコミュニティーや地域とのつながり、連携を大切にする。孤立させないことや地域社会との接点を促進するというだけでなく、生活のさまざまな場面で特性への配慮がなされた上で、支援者や社会とのつながりが維持され促進されることを重視する。
ほかにも、コミュニケーションに配慮する、静かな環境にする、生活リズムを整える、成功体験を持ってもらう、時間をかけて支援する、対処方法を身に付けてもらう、折り合いをつけるということを学ぶ――などを重視すべきだという指導方法もある。
国立障害者リハビリテーションセンターは「構造化された環境の中で、医療と連携しながら、リラックスできる強い刺激を避けた環境で、一貫した対応をできるチームを作り、自尊心を持ちひとりでできる活動を増やし、地域で継続的に生活できる体制づくりを進める」ことを提唱している。
現場での実践
行動障害を起こしやすい知的障害や自閉症の人を支援している福祉現場では…
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植草学園大学教授/毎日新聞客員編集委員
のざわ・かずひろ 1983年早稲田大学法学部卒業、毎日新聞社入社。東京本社社 会部で、いじめ、ひきこもり、児童虐待、障害者虐待などに取り組む。夕刊編集 部長、論説委員などを歴任。現在は一般社団法人スローコミュニケーション代表 として「わかりやすい文章 分かち合う文化」をめざし、障害者や外国人にやさ しい日本語の研究と普及に努める。東京大学「障害者のリアルに迫るゼミ」顧問 (非常勤講師)、上智大学非常勤講師、社会保障審議会障害者部会委員、内閣府 障害者政策委員会委員なども。著書に「スローコミュニケーション」(スローコ ミュニケーション出版)、「障害者のリアル×東大生のリアル」「なんとなくは、 生きられない。」「条例のある街」(ぶどう社)、「あの夜、君が泣いたわけ」 (中央法規)、「わかりやすさの本質」(NHK出版)など。
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