
前回、「君子豹変(ひょうへん)す」という言葉について述べました(https://mainichi.jp/premier/health/articles/20230211/med/00m/100/012000c)。これは「易経」という中国の古典に由来しています。
「易経」は「当たるも八卦(はっけ)、当たらぬも八卦」で知られる易占いの“バイブル”とも言われていますが、東洋の伝統的な世界観・宇宙観をうかがい知ることができる自然哲学の書物でもあります。
医学は自然哲学の一分野と言えますから、西洋医学を学ぶためには物理学や化学の知識が必須であるように、東洋医学を知るためにはその基盤となる東洋独自の自然哲学について、多少なりとも通じている必要があるはずです。
だからといって、「易経」という「占いの本」を読んで勉強する、というのはちょっと問題アリかもしれません。
皆さんのかかっておられる医者が、占いの本を熱心に読んでいたら、不安を感じないでしょうか? 非科学的で怪しいヤツなんじゃないかと思われても文句は言えませんね。
私も長い間そう考えて、「易経」を敬遠してきましたが、ある時書店で、「孔子がギリシア悲劇を読んだら 易経入門」(2011年、文春新書)(https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166608201)という本を見かけました。ずいぶんと風変わりなタイトルだなあと思って立ち読みしていましたが、あまりの面白さに一気に読破してしまいました。著者は氷見野良三氏。経済ニュースに詳しい方はピンとくるかもしれませんが、ついさきごろ日本銀行の次期副総裁に決まった人です。
この本では、易経を「占いの本」ではなく「ギリシャ悲劇の解説書」として読んでみた、という奇想天外な試みが展開されます。具体的にソポクレスの「オイディプス王」や「アンティゴネ」を俎上(そじょう)に上げ、6人の登場人物を抜き出して「陰」と「陽」に分類し、一つの「卦」を立てるという、常人には思いもつかないような手法で著者は鮮やかな分析をしてみせるのです。
「卦」とは、一種のパターン認識で、三つ組の「陰/陽」から成り立っています。三つすべてが「陽」の場合は「天」を表し、三つすべてが「陰」であれば「地」を意味します。「…
この記事は有料記事です。
残り1738文字(全文2701文字)
聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 臨床教育アドバイザー
1976年京都生まれ。京都大学医学部卒。北里大学大学院修了(専攻は東洋医学)。東京女子医大付属膠原病リウマチ痛風センター、JR東京総合病院を経てNTT東日本関東病院リウマチ膠原病科部長。現在、聖路加国際病院 Immuno-Rheumatology Center 臨床教育アドバイザー。福島県立医科大学非常勤講師。著書に「未来の漢方」(森まゆみと共著、亜紀書房)、「漢方水先案内 医学の東へ」(医学書院)、「ほの暗い永久から出でて 生と死を巡る対話」(上橋菜穂子との共著、文藝春秋)など。訳書に「閃めく経絡―現代医学のミステリーに鍼灸の“サイエンス"が挑む! 」(D.キーオン著、須田万勢らと共訳)がある。
連載:漢方ことはじめ
- 前の記事
- 師が自説を改めるとき