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心身に大変化「75歳の壁」をどう乗り越える?

西川敦子・フリーライター
作家の楠木新さん=本人提供
作家の楠木新さん=本人提供

 心はまだまだ若いつもりでも、体はしんどくなりがち――。心身のギャップが生じやすい75歳前後。第二の思春期ともいえる不安的な時期に、私たちはどう備えればいいのでしょうか。心の危機を乗り越えて人生を味わい尽くす方法を、元神戸松蔭女子学院大学教授で中高年のキャリア・生き方を取材し続ける作家・楠木新さん(68)に聞きました。

上り坂派から下り坂派へ―意識転換がカギ

 ――人生100年時代と言われますが、一方で「75歳の壁」という言葉もよく聞かれます。内閣府の「2022年版高齢社会白書」(https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2022/zenbun/04pdf_index.html)によると、日常生活に制限なく暮らせる「健康寿命」は男性が73歳、女性が75歳。少し前のデータにはなりますが、12年に行われた東京大学高齢社会総合研究機構の「長寿社会における暮らし方の調査」でも、70代後半以降、独力で外出・買い物できなくなる人が増えていくとされます。

 楠木:私の取材では、「大病をしなければ80歳くらいまでは自立して過ごせる」と語る人が多いように思います。統計を見るとたしかに75歳がひとつの壁になりそうです。

 60歳時点の平均余命を見ると、男性が85歳ぐらい、女性は90歳ぐらいまで生きる計算になります。つまり75歳前後の年代は、体の自立度はやや下がっていくものの、「死を意識するにはまだまだ早い年ごろ」というわけです。

 これに対し、60~74歳は一般には体も元気だし、多くの人は仕事も楽になり、家族の扶養義務も軽くなって、時間的にゆとりが生まれます。私は、この期間を「黄金の15年」と呼んで、人生で最も楽しめる時期だと考えています。

 ――高齢期にもさまざまな段階があるということですね。

 楠木:そのとおりです。たとえば68歳の私と91歳の母親とでは行動半径も違うし、求めているものもかなり異なります。定年を迎えてから死ぬまでをひとくくりに「老後」とするのでなく、老いの段階に応じて生き方を考えるべきではないでしょうか。

 ――「黄金の15年」「75歳の壁」を経て、いよいよ「超高齢期」へと近づいていくわけですが、気になるのが75歳前後の年ごろです。心と体で変化のスピードにギャップがあると、精神的に不安定になりがちです。「75歳の壁」を上手に乗り越える方法はあるのでしょうか。

 楠木:私は約10年にわたり、500人以上の定年後の人たちに取材をしてきました。そこから見えてきたのは、幸せに年齢を重ねている人は「未来の不安より、今を生きることに集中している」ということです。

 たとえば、生命保険会社を55歳で退職したHさん(73)は、60代後半を過ぎて母親を自宅で介護し続けました。母親の食事もすべて彼が作りました。衰えていく親の姿を目の当たりにして、「人は最後は朽ちていくのだ」という思いをあらたにしたそうです。

 92歳で母親が亡くなったとき、彼がたどりついた結論は「70代の今は死ぬことや最期の迎え方などはなるべく考えまい。今できることを楽しもう」というものでした。

 今、Hさんは、昔の友人たちとバンド活動にハマっているそうです。バンド仲間との他愛のないおしゃべりの時間が楽しくてしかたないのだとか。現役時代は時間をムダにするのが大嫌いで、仕事を効率的にこなしていたHさん。自身も自分の変化に驚いているのだと言います。

 歳をとると、忙しかった頃は視界に入らなかった道端の草花に目がとまったりする。人生の下り坂だからこそ見えてくる景色を彼は今、存分に楽しんでいるのだなと感じました。

 ――老いの兆候が表れ始めたら、人生の上り坂ではなく下り坂を楽しめるよう、意識を切り替えたほうがよさそうですね。

 楠木:老いは誰にとっても不安なものですが、避け…

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フリーライター

にしかわ・あつこ 1967年生まれ。鎌倉市出身。上智大学外国語学部卒業。編集プロダクションなどを経て、2001年から執筆活動。雑誌、ウエブ媒体などで、働き方や人事・組織の問題、経営学などをテーマに取材を続ける。著書に「ワーキングうつ」「みんなでひとり暮らし 大人のためのシェアハウス案内」(ダイヤモンド社)など。