なぜ許された 障害は「不幸」なのか

阿部知子・衆院議員
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阿部知子氏=須藤孝撮影
阿部知子氏=須藤孝撮影

ハンセン病隔離政策とともに

 国立療養所多磨全生園自治会長、平沢保治氏の言葉は見事に「強制不妊」とは何であったかを言い当てている。

 「人間にとって性や子孫を持つことは真理であり、神の摂理でもある」「それが医者の手によって、政治家の手によって奪われた」と。

 1948年に制定された優生保護法によって、平沢氏は50年、結婚と引き換えに断種手術を「同意の下」受け入れさせられた。

 程なく53年、戦前の「癩(らい)予防法」は「らい予防法」に名を変えたが、「強制隔離」や「懲戒検束権」が残され、働くことの禁止、療養所からの外出の禁止は96年の同法廃止まで続く。

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阿部知子

衆院議員

1948年生まれ。2000年衆院初当選。超党派議連「原発ゼロの会」事務局長、「立憲フォーラム」副代表。小児科医。衆院神奈川12区、当選7回。立憲民主党。