馬淵澄夫の「政治は術(アート)なり」

辺野古移設シナリオを俯瞰する

馬淵澄夫・元国土交通相
  • 文字
  • 印刷
馬淵澄夫氏=根岸基弘撮影
馬淵澄夫氏=根岸基弘撮影

 翁長雄志知事の突然のご逝去により、急きょ9月末に沖縄県知事選挙が行われることになった。病と闘いながら、沖縄人としての矜恃(きょうじ)を持って辺野古(同県名護市)移設反対に取り組んでこられた翁長知事には心から哀悼の誠をささげると共に、謹んでご冥福をお祈り申しあげます。

 米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の辺野古移設問題は、大田昌秀知事県政下の1995年9月に起きた、米兵3人による少女暴行事件に端を発するものだ。今回の知事選では、普天間移設について与野党の激突が予想されるが、今後について想定される事態を、経緯を踏まえて俯瞰(ふかん)してみる。

 少女暴行事件の翌年、沖縄県民の怒りの爆発を受け、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使の会談により普天間飛行場の全面返還が約束され、日米特別行動委員会(SACO)最終報告が出された。その後10年の歳月を経て、2006年に普天間の代替地である辺野古のV字形滑走路を内容とする日米ロードマップが示された。

この記事は有料記事です。

残り1246文字(全文1671文字)

馬淵澄夫

元国土交通相

1960年生まれ。2003年衆院初当選。国土交通相、民進党選対委員長などを歴任した。政治団体「一丸の会」代表。衆院比例近畿、当選6回。無所属。耐震偽装事件の追及で知られ、福島第1原発事故では首相補佐官として対応にあたった。