「高貴なる行為」どう報いるか 「靖国合祀」古賀誠氏寄稿に

櫻田淳・東洋学園大教授
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 このたびの古賀誠氏の「靖国合祀(ごうし)」論稿を受けて、読者各位からさまざまなコメントが寄せられた。次の議論に向けた「総括」として、以下のことを記しておく。

 現在、日本の大方の人々にとって、戦争とは、「昭和二十年八月十五日に終わった戦争」のことである。しかし、日本は、明治以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、第二次世界大戦というように、ほぼ10年ごとに対外戦争を繰り返してきた。靖国神社に祀(まつ)られているのは、そうした数々の戦役で落命した人々であるけれども、今や「昭和二十年八月十五日に終わった戦争」以外の英霊のことは、忘れられていないだろうか。

 これに関連して留意されるべきは、未来の「英霊」のための追悼や慰霊の枠組みは、どのように考えられるかということである。それは、果たして靖国神社という枠組みが引き受けられるものなのか。将来、日本に対する直接的な攻撃への対処だけではなく、テロリズム対応や国際平和構築・維持の現場で不運にして落命するような人々が出てきた場合、彼らは、どのように処遇されることになるのか。

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櫻田淳

東洋学園大教授

1965年生まれ。専門は国際政治学、安全保障。衆院議員政策担当秘書の経験もある。著書に「国家の役割とは何か」「『常識』としての保守主義」など。フェイスブックでも時事問題についての寸評を発信。