安倍晋三首相がロシアのプーチン大統領と二十数回の会談を重ねて人間関係を築き、北方領土問題を解決しようとしている意欲は評価したい。
1956年の日ソ共同宣言以前は、当時政権を担っていた自民党内でも返還が可能なのは歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島の2島までだという見方が中心的だった。
ところが日ソの接近を懸念した米国のダレス国務長官が介入した結果、2島は先行返還、残る国後(くなしり)択捉(えとろふ)の2島は継続協議という日ソ共同宣言になった。
ソ連が崩壊過程に入ると、日本側に有利な状況が生まれた。91年に海部俊樹首相とソ連のゴルバチョフ大統領による日ソ共同声明では正式文書で初めて「四島」が確認された。93年には「四島の帰属問題を解決する」とした細川護熙首相とロシアのエリツィン大統領による東京宣言につながる。
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