村井英樹さんの寄稿に一言

個人の「良い選択」誘導…「ナッジ」政策どう生かす? ご意見募集

西田亮介・東京工業大学准教授
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西田亮介さん
西田亮介さん

 社会問題が複雑多様化する中で、高齢化に伴う社会保障費等の負担は増大する一方。にもかかわらず国と地方あわせて1000兆円を上回る債務もあり、新規の政策、とくに現役世代に向けた政策は財政面で厳しい制約を受けているのが我々の社会の現状である。

 同様の状況が長期にわたって継続していくことのみならず、より深刻な状況になることは、我が国の人口構成や財政上ほぼ確実視されている。

 政治、行政、研究者等が打開案を探し続けて久しい。そのなかで世界各国で注目され、日本でも近年実証実験等を含めて関心を集めている政策手法が、村井氏の寄稿で紹介される「ナッジ」である。ナッジは「軽く肘でつつく」という意味だが、人間の認知や選択において生じる偏りにうまく介入することで、政策コストの削減や老後の資産形成など、重要性はわかりつつも、つい看過しがちな事項の問題解決に一定の成果を上げてきた。

 村井氏が紹介するノーベル経済学賞を受賞したリチャード・セイラー氏と、アメリカの著名な法学者キャス・サンスティーン氏らが理論、応用、実装面で2000年代末ごろから議論を発展させてきた。

 ナッジは人間が選択するときに生じる「偏り」や「間違い」を、実験や認知科学の知見も取り入れながら、体系的に説明する行動経済学の知見を応用している(「セイラー教授の行動経済学入門」リチャード・セイラー著、ダイヤモンド社、2007年)。

 こうした政策手法をサンスティーン氏は「リバタリアン・パターナリズム」として法学的な観点からの理論化を試みてきた。自由至上主義と父権主義という相反する概念を調停しようとする試みだが、個人の選択の自由と(大きな)政府の役割の両立、すなわち古典的なアメリカにおける政治の価値観対立の解決に貢献できるとサンスティーン氏は主張する。

 セイラー氏は民間のサービス開発に、サンスティーン氏は米オバマ政権下で行政管理予算局情報・規制問題室(OIRA)の室長として合理的な規制の評価や設計に関わる政策実務にそれぞれ携わるなど、社会実装も活発に行ってきた。イギリスのみならず、アメリカ、韓国など、世界各国で研究者など専門家との協働を通じた実装が試みられてきた。

 日本における関心も高く、邦訳も関連文献を含めて多数ある。筆者も解説執筆で携わった、サンスティーン氏のOIRAでの経験を中心にナッジ手法が紹介される「シンプルな政府――“規制"をいかにデザインするか」(NTT出版、2017年)や、ナッジのリスクや注意点にも目を向ける「命の価値――規制国家に人間味を」(勁草書房、2017年)、セイラーとサンスティーン両氏による「実践行動経済学」(日経BP社、2009年)、セイラー氏の半自伝的エッセー「行動経済学の逆襲」(早川書房、2016年)などは一読に値する。

 しかしその一方で、これだけの関心の高さにもかかわらず、環境省が省エネの見える化等に取り組んだ実証実験「低炭素型の行動変容を促す情報発信(ナッジ)等による家庭等の自発的対策推進事業」や、やはり環境省が事務局を務める「日本版ナッジ・ユニット連絡会議」等の例はあるものの、日本ではあまり政策にナッジの知見は実装されてこなかった。

 上記の例は行政分野における試行錯誤例だが、村井氏は寄稿のなかで自民党の厚生労働部会に「厚生労働行政の効率化に関する国民起点プロジェクトチーム」を設けたという。行財政改革が与野党の関心事だった1990年代後半や民営化が政治の関心事の中央にあった時期と比べると、近年はそうした機運に乏しかった。政府与党が本腰を入れて、政治の透明化や見える化、ナッジ活用に取り組むことができるかどうかが問われている。

 読者の皆さんは、ぜひ村井氏の寄稿を一読のうえ、現在進行形で検討が進められている新しい政策手法についての感想や意見等をコメントとして寄せてほしい。

西田亮介

東京工業大学准教授

1983年生まれ。博士(政策・メディア)。専門は社会学、公共政策学。著書に「ネット選挙--解禁がもたらす日本社会の変容」「情報武装する政治」。ツイッター @Ryosuke_Nishida