保岡興治さんの寄稿に一言

改憲論議、与野党対決の構図から脱するためには ご意見募集

櫻田淳・東洋学園大教授
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櫻田淳さん
櫻田淳さん

 このたび、読者に喚起するのは、保岡興治氏(元衆議院議員)の論稿をたたき台にした「憲法改正」論議の行方についての議論である。

 安倍晋三首相は、去る2月の自民党大会の場で憲法改正実現への意欲を示した。それが自らの執政の「花道」を飾るものとして意識されているのは、間違いないであろう。

 ただし、国民各層の中では憲法改正への機運が盛り上がっているとは断じ難い。憲法改正論議は、一般国民の生活実感からは程遠い印象がある。それは、憲法改正論議に際して、政治家が一般国民の生活実感に寄り添った題材を提供してこなかった結果でもある。

 たとえば、当代の世界における「リベラルな価値意識」を表すものとして、「性的少数者の権利の擁護」がある。それは、「社会における多様性」の観点から肯定されるべきものであるという諒解(りょうかい)が、定着しつつあるようである。そして、そのための具体的な対応として語られているのが、「同性婚の許容」である。

 現行憲法第24条第1項には、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と記される。この条項における「両性」とは、素直に読めば、「二つの性、すなわち男と女」である。この条項がある限りは、「同性婚の許容」が民法を含む日本の法制度で位置付けられるのは、難しい。「婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」という第2項の記述が、「法律は個人の尊厳に立脚して制定されなければならない」という趣旨の下に「同性婚の許容」を含むという解釈は、成り立つかもれない。しかし、それもまた、従来、自衛隊の位置付けに関して批判されてきた「解釈改憲」と同じ類いのものでしかないであろう。憲法典が国民の「高度な常識」を体現する文書であるならば、そうした結論になる。

 多分に「同性婚の許容」を支持する日本のリベラル勢力は、既に自民党が提起した第24条改正の方向性には、「復古色が濃い」として批判している。しかしながら、それならば、何故、彼らは、「同性婚の許容」を明確に位置付けるべく、第24条第1項中の「両性」の言辞を「両人」に換えるリベラルな方向での第24条改正を提起しないのであろうか。

 憲法改正論議は、全ての政策の「土台」に絡むものである。故に、それは、一般政策論議でみられるような「推進する与党と抵抗する野党」の構図に落とし込まれるべきものではない。にもかかわらず、そうした「推進と抵抗」の構図の惰性から政治家もメディアも抜け出ていないことこそ、日本の憲法論議の不幸がある。「議論を尽くし少数意見を尊重する」という保岡氏の指摘には、憲法論議の「作法」が示されている。

 憲法改正論議における現下の状況は、どのように打開されるべきか。読者各位のご意見を承りたい。

櫻田淳

東洋学園大教授

1965年生まれ。専門は国際政治学、安全保障。衆院議員政策担当秘書の経験もある。著書に「国家の役割とは何か」「『常識』としての保守主義」など。フェイスブックでも時事問題についての寸評を発信。