田島麻衣子さんの寄稿に一言

「黄信号の子」の貧困どうする ご意見募集

湯浅誠・社会活動家
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湯浅誠氏=内藤絵美撮影
湯浅誠氏=内藤絵美撮影

 田島麻衣子参院議員が貧困問題に取り組む決意を表明している。総じて関心の高くない貧困問題に強い関心を抱いてくれる国会議員をまずは歓迎したい。

 その上で、日本の貧困の可視化には、途上国と異なる「工夫」が求められる。

 日本の貧困は「相対的貧困」。経済協力開発機構(OECD)が定める基準に基づいて算定されている。その値は、所得の中央値の2分の1以下。3人世帯だと年200万円を超える。

 相対的貧困状態の家庭の中には、極貧の中、今日明日食べるものに事欠く家庭もあるだろう。他方、貧困ラインをかすかに下回るという家庭であれば、どれだけ栄養のあるものを食べているかはともかく飢えてはいないだろう。

 そして「7人に1人」と言われる貧困の子どものうち、数が多いのは後者のほうである。

 自らの反省を込めて言うが、この課題に取り組む私たちもマスメディアも、従来は前者の「きわめて厳しい人たち」をクローズアップしてきた。貧困問題そのものが認知されておらず、「きわめて厳しい状態を放置するのか」という見せ方ができなければ共感を得られなかったからだ。

 他方、それは後者の「飢えているわけではないが貧困ラインを下回っている子たち」を可視化できなかった。だから「中途半端な貧困状態」が映し出されると、その番組には今でも「そんなのは貧困ではない」という批判が殺到する。

 その子たちを私は「黄信号の子」と呼んでいる。

 象徴的に言えば「(経済的理由で)修学旅行に行けない子」だ。修学旅行に行けなくても死にはしない。退学もしなくていい。進学もできる。“たかが”修学旅行に行けないだけだ。しかし“されど”修学旅行に行けないのだと課題視するのが相対的貧困基準である。

 これは、多くの日本人の貧困観とは相いれない。多くの人たちにとって貧困状態とは「生きるか死ぬか」の問題であるはずだからだ。だからこそ、可視化が難しく、可視化できてこなかった。

 国連の持続可能な開発目標(SDGs)は17ゴール(目標)の1番目に「貧困をなくそう」と掲げている。これを多くの人は生きるか死ぬかの貧困の話と受け取る。だからこそ、SDGs文書は第1ゴールの説明文書(アジェンダ1.2)で、わざわざ「2030年までに、各国定義によるあらゆる次元の貧困状態にある、すべての年齢の男性、女性、子どもの割合を半減させる」と書いている。平たく言えば、「よその国のことと思わないでね」「『黄信号の子』も含むんですよ」と念押ししているわけだ。逆に言えば、それほどに「黄信号の子の可視化」は難しい。

 このことには、政策的なインプリケーションもある。というのは、「黄信号の子」と、より深刻な「赤信号の子」ではアプローチの仕方が異なるからだ。たとえば児童相談所の機能充実は赤信号対応の充実に直結する。しかし、黄信号対応には直接には関係しない。その子たちは、必ずしも「児相に預けられるほどの状態」ではないからだ。学校の相談室も同様だ。貧困対策というと、ただちに個別支援・個別相談窓口の充実(ワンストップ化やデジタル活用を含む)に話が進む傾向があるが、黄信号状態の多くの子たちは個別相談窓口には行かない(個別相談窓口の重要性を否定するものではない)。

 しばしば誤解されているが、これは「相談窓口の存在が十分に周知されていないから」だけではない。そういう人も確実にいるだろうが、知っていても行かない子どもも大量に存在する。理由は簡単。そこはもっと大変な人たちのための場所だと思っているから。自分はもっとがんばれると思っているから。子どもの貧困観にも大人の貧困観が反映するので、当然といえば当然の事態だ。

 そこで、どうするか。読者のみなさんのご意見をうかがいたい。

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湯浅誠

社会活動家

1969年生まれ。内閣府参与、法政大教授などを歴任。東京大特任教授、NPO法人全国こども食堂支援センターむすびえ理事長。