自公連立 20年

「公明はブレーキ役」に腐心

神崎武法・元公明党代表
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神崎武法氏=宮本明登撮影
神崎武法氏=宮本明登撮影

 1999年10月に公明党が参加して自自公連立政権が始まった。小渕内閣が誕生した翌月の98年8月、野中広務官房長官から公明党の冬柴鉄三幹事長に「ぜひ連立してくれないか」という話が来た。冬柴さんは「これまで『非自民』でやってきたからすぐにはいかない。ワンクッション入れてもらいたい」と返答した。

 実は私はその前年の6月、新大阪駅の貴賓室で竹下登元首相と話す機会があった。公明党政審会長を務めた正木良明さんの葬儀に参列した帰りに竹下さんが私を待っていた。竹下さんは「これからの日本の政治を見ると『自民党』対『新しい保守の党』の二つの勢力が政権を争うようになる。自民党と公明党が一緒になった方が日本の政治のためにはいいんだ」という話をされた。そのことが私の頭にあったので、野中さんから打診された時はいよいよだなと感じた。

 ただ、98年11月の臨時党大会では「自公連立は考えていない」と発言した。党内では「直接自民党と連立を組むのは早すぎる」という慎重論が根強かったからだ。まずは新進党参加に伴い分かれた旧公明勢力を再結集して、自民党と自由党の連立の様子を見ながらと慎重に構えた。

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神崎武法

元公明党代表

1943年、中国・天津市生まれ。東京地検検事などを経て、83年衆院選で初当選。以降連続9期当選し、郵政相、公明党代表などを歴任した。2010年に政界を引退。現在は党常任顧問。