3分でわかる政治の基礎知識

美智子さまと雅子さま 時代を映すパレード

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オープンカーから詰めかけた人たちに手を振る皇太子ご夫妻(現在の天皇、皇后両陛下)=東京・千代田区の最高裁判所前で 1993年6月9日午後、(代表撮影)
オープンカーから詰めかけた人たちに手を振る皇太子ご夫妻(現在の天皇、皇后両陛下)=東京・千代田区の最高裁判所前で 1993年6月9日午後、(代表撮影)

 上皇、上皇后両陛下のご成婚パレード(1959年)はみなさんの印象に強く残っていると思います。「ミッチー・ブーム」と呼ばれ、テレビが爆発的に普及したことによっても歴史に残りました。

「2人で」美智子さま

 それまでとは全く異なる、戦後の天皇家についての日本国民のイメージはこの時にできたと言えます。昭和天皇も強いメッセージ性を持った天皇でしたが、常に「上御一人(かみごいちにん)」でした。

 昭和天皇で思い出されるのは一人で立っている姿であって、香淳皇后が並んでいる印象を持っている人は少ないと思います。

 一方で、多くの国民にとって美智子さまがそばにおられない上皇陛下の姿は考えられないでしょう。同じ「天皇制」と言いつつ、戦後に全く異なった天皇家のあり方が形成されたことがこの一点をとってもよくわかります。その出発点が59年のご成婚パレードでした。

「共に歩む」雅子さま

 天皇、皇后両陛下のご成婚パレードが行われたのは93年です。バブルが崩壊し、「失われた○年」などと言われる時代の入り口でした。

 雅子さまが外務省に入省したのは87年。男女雇用機会均等法の施行は86年です。美智子さまがまず妻であり、母であったのに対し、雅子さまは「仕事も家庭も」というキャリア女性の象徴とみられました。

 天皇陛下も「僕が一生、全力でお守りしますから」という言葉で、常に雅子さまと共に立たれることを示されました。93年のパレードは、共に歩む2人の姿を示すものでした。

 しかし、雅子さまには跡継ぎを産むという重圧がかかります。適応障害と診断され、公務(仕事)を休んで長い療養生活を経験しなければなりませんでした。

時代の象徴

 美智子さまが「テレビ、核家族、夫を支える妻」といった高度成長期の日本を象徴する存在であるのに対して、雅子さまが少子高齢化に苦しむ低成長期の日本を象徴する存在であることは偶然ではないのでしょう。

 そして天皇、皇后両陛下も上皇、上皇后両陛下も遠い存在ではなく、国民のさまざまな思いを映す鏡であることに変わりはありません。(政治プレミア編集部)