クトゥーゾフの窓から

「欧州最後の独裁国」で企業を経営するということ

大前仁・モスクワ特派員
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アダニ社の製品を説明するウラジーミル・リネフ最高経営責任者=ミンスクで2019年11月14日、大前仁撮影
アダニ社の製品を説明するウラジーミル・リネフ最高経営責任者=ミンスクで2019年11月14日、大前仁撮影

 旧ソ連のベラルーシでは、ルカシェンコ大統領が1994年から権力を握り、「欧州最後の独裁国」とも呼ばれる。社会主義的な政策を敷き、非効率な国営企業が多いが、医療機器の分野で世界トップクラスの企業も生まれている。この企業のトップに成功の秘訣(ひけつ)を聞くとともに、経済発展と政治の関係を考えた。

 ベラルーシの首都ミンスクに本社を構えるアダニ社は、放射線を使った医療機器などを製造する。同社の金属探知機はロンドンのヒースロー空港や、英名門サッカークラブのマンチェスター・ユナイテッドのスタジアムに採用された。株式は非公開だが、従業員は700人を数え、米国や英国、ロシア、中国に事業所を構える。専門誌は放射線を使った技術で世界トップ10の企業に入ると報じる。

 創始者のウラジーミル・リネフ最高経営責任者(68)は、2018年に「ベラルーシの起業家」というコンテスト(会計事務所アーンスト・アンド・ヤング主催)で1位に輝くなど手腕が評価されてきた。ソ連時代は核物理学者だったが、91年に大学に籍を置いたまま起業した。この年の12月にソ連が崩壊し、手厚い保護を受けてきた科学者たちが途方に暮れた時代だ。リネフ氏は肩書に頼らない生き方を選び、まもなく教授の職を辞した。

市場のニーズを重視し成長

 当時のアダニ社が取り組んだのは、隣接するウクライナ共和国で起きたチェルノブイリ原発事故(86年)への対応だった。多くの住民は放射能汚染を恐れながら暮らしていたが、ソ連当局の許可なしに放射能濃度を測ることが禁じられていた。ソ連が崩壊すると、アダニ社は食品や建築材に染みこんだ放射能を測定する機器を開発し、約5000台を販売したという。

 なぜアダニ社が世界的な企業に成長できたのだろうか?

 リネフ氏が核物理学者として培った知識を土台にして、同社が取得した特許は130件を超す。その技術を元にして、顧客の要求を探り続け、需要がある製品を短期間で開発するように取り組んできたという。「我々は市場の末端から(ニーズを聞いて)仕事を始めている」とリネフ氏は話す。

 急速に進むデジタル経済に身を置くと、変革を恐れずに挑まなければ、大企業でも取り残されてしまう時代である。リネフ氏は「もし(世界的メーカーの)シーメンスから合併を持ちかけられても、傘下に入れば自由を失うだろうから、同意することはない」と述べ、主体的な経営判断の大切さ…

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大前仁

モスクワ特派員

1969年生まれ。1996年から6年半、日経アメリカ社でワシントン支局に勤務。毎日新聞社では2008年から13年まで1回目のモスクワ支局に勤務。