クトゥーゾフの窓から

米露に見捨てられたICBM 残る「ソ連の核」の傷跡

大前仁・モスクワ特派員
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燃料の処理を終えた大陸間弾道ミサイルRT23の1段目= ウクライナ東部パブログラドで2019年11月29日、大前仁撮影
燃料の処理を終えた大陸間弾道ミサイルRT23の1段目= ウクライナ東部パブログラドで2019年11月29日、大前仁撮影

 ウクライナはソ連崩壊後、国内に残された核兵器を放棄した。しかし、いまだに大陸間弾道ミサイル(ICBM)燃料の処分は終わっていない。その過程では米国とロシアと結んだ「約束」が次々と破られ、大国に翻弄(ほんろう)されてきた。核廃棄に関わった人々の話を聞き、関連する問題を考えた。

 独立後のウクライナには2000発前後の核弾頭や200近くのミサイルなどの運搬手段が残され、米国とロシアに次ぐ世界3位の核保有国に躍り出た。しかし米露両国は核保有国が増える事態を嫌い、経済支援を条件にして、ウクライナに核兵器を手放すよう圧力をかけた。

 ウクライナは1994年1月、核兵器を放棄すると決断した。米露に英国を加えた3カ国はこの年の12月、「ブダペスト覚書」に署名し、ウクライナの安全を保障することを明記した。これに先立ち、米国は「ナン・ルーガー法」を成立させて、旧ソ連諸国における核や生物化学兵器の廃棄などを支援すると約束していた。この法律に基づき、ウクライナでの核弾頭の国外移送やICBMの処分への財政支援を行ったのだ。

米露両国によるたび重なる約束違反

 最初に約束が破られたのは2002年だった。ウクライナでは核弾頭のロシアへの移送やICBMの解体が進んでいたが、ICBM燃料の廃棄は終わっていなかった。ところが米議会は自国への脅威がなくなったと判断した模様で、この年限りでウクライナへの支援打ち切りを決めた。財政難に苦しんでいたウクライナが関連予算を計上できるようになったのは、10年になってからだった。

 一度は吉報も訪れた。オバマ米大統領(当時)が09年に就任すると、「核なき世界」の理想を掲げ、核不拡散の強化に乗り出した。ウクライナのヤヌコビッチ政権(当時)が12年までに国内に残されていた軍事用プルトニウムの国外移送を終えたため、米国はICBMの燃料処分を支援する予算拠出再開を決めた。

 2度目の約束違反はロシアによるものだった。ウクライナでは汚職にまみれたヤヌコビッチ政権への反発が強まり、ヤヌコビッチ大統領は14年2月に後ろ盾となるロシアへ逃げ出し、政権が崩壊した。この事態に反発したロシアは軍を動員し、同月末からロシア系住民が多いウクライナ南部のクリミアの占領を開始。3月には住民投票が強行されて、クリミアはロシアに強制編入された。そして、3度目の約束違反はトランプ米政権だった。18年末、ウクライナに対しICBMの燃料処分の予算打ち切りを宣告した。ウクライナ政府は今年の予算を拠出したが、来年以降の打ち切りを決めた。

処分が終わらないICBM燃料

 ウクライナ東部にあるパブログラド化学工場では、ICBM「RT23」38基の燃料処分が一部で終わっていない。私が11月末に工場を訪れると、厳重な警備が施された保管庫には、三つのパーツに切り離されたRT23の3段目が置かれていた。工場に残されている固体推進剤のミサイル燃料は1800トン近くに上る。製造から30年以上が経過しており、今後、老朽化が進めば、周辺地域の環境を汚染する恐れも出てくるという。

 冷戦終結から30年を迎えたが、レオニード・シュマン工場長(60)から前向きな言葉は出てこなかった。「最も大きな教訓は友人も、同僚も、戦略的なパートナーも頼れなかったことだ。今後は可能な限り、他国に頼らずに重要な決定を下していくべきだ」と話す。米国が2…

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大前仁

モスクワ特派員

1969年生まれ。1996年から6年半、日経アメリカ社でワシントン支局に勤務。毎日新聞社では2008年から13年まで1回目のモスクワ支局に勤務。