
平成から令和へと時代が移った今年も、早いもので残りわずかとなった。いろいろなことがありすぎて、長かったのか短かったのかさえ実感できない年だった。
混沌(こんとん)とする国際情勢、世界秩序の混乱と民主主義国家の分断現象が急速に進行し、先行きが極めて不透明である。第二次世界大戦以降、多国間主義で国際協調を図ろうとしたにもかかわらず、多国間主義そのものが危機に陥っているといってもいいだろう。日本も内外に多くの課題を抱え、超少子高齢・人口減少社会の進展の中で、持続可能な社会づくりと世界各国との真のつながりが求められている。
もうすぐ新しい年、2020年が幕を開けるが、この大きく激動する国際社会の中で、日本が信頼される国として、いわゆる「国のかたち」をどう描いていくのか。グローバリゼーション、急速に発達する科学・技術の進展、そして、地球環境保護や循環型社会の要請の高まりの中で、日本社会の新たなステージをどうつくりだしていくのかが問われている。それらの国民的議論のリーダーシップをとるのが国の政治であり、その政治を行うのが、国民から負託を受けた国会議員である。
政治不信助長した政府・与党
しかし、いくらなんでも、おかしいと思っているのは、私だけではないだろう。10月4日に召集され、67日間の会期を終え、12月9日に閉会した第200回国会のことだ。
政府提出のほとんどの法案が成立した。しかし、会期中の閣僚の相次ぐ辞任、大学入学共通テストに関わる課題、質問通告の漏えい問題、桜を見る会に関連する多くの疑惑と不適切な行政文書の管理など、数々の問題が明らかになったが、これらに対する政府の説明は十分であっただろうか。論戦を避け説明責任を果たしたとは到底思われない。国民の政治不信を助長する国会運営を行った政府・与党の対応は極めて遺憾と言わざるを得ない。
特に、菅原一秀前経済産業相は公職選挙法が禁じる寄付をした疑い、河井克行前法相は参院議員の妻の陣営の選挙違反の疑いが指摘され、「今後、説明責任を果たしていきたい」と述べて大臣を辞任した。しかし、2カ月になろうとしているのに、まったく何の音沙汰もない。
「桜」に見えた政権の体質
加えて、桜を見る会である。この問題は、ただ単に、招待者の選定基準が不明確ということや招待人数と予算の拡大という現象だけに疑問があるのではなく、社会の良識、民主主義の根…
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