日韓首脳会談を目前に控えた2019年12月18日、韓国国会の文喜相(ムン・ヒサン)議長は元徴用工問題の「包括的解決」を目指す2本の法案を13人の国会議員とともに提案した。
文議長は24日の日韓首脳会談の前に法案を提出し、「日韓が未来志向に向かうための呼び水に」(法案趣意書)と呼びかけたが、会談では文議長法案は話題にならなかった。
文在寅(ムン・ジェイン)政権が日本政府に提案済みの日韓両国企業の拠出による財団という案と文議長の案は似ているように見えるが、実際には違いがある。文議長と青瓦台(大統領府)は、法案を巡って微妙な神経戦を繰り広げているのだ。
文議長案は、財源の異なる二つの法案
文議長が提案した法案の一つは、日韓の企業と個人の「自発的な寄付」を中心に設立された財団が、日本による植民地時代の反人道的不法行為に伴う精神的被害に対する「慰謝料」を支払うという「記憶・和解・未来財団設立法案」だ。(このコラムでは「財団法案」と呼ぶ。法案の趣旨説明抜粋はこちら )。
もう一つは、国外に強制動員された元軍人・軍属や元徴用工らに対し、韓国政府が道義的責任を果たす目的で08~15年に実施した「慰労金」支給事業を再開するための委員会を復活させようという「強制動員被害調査および国外強制動員犠牲者等支援特別法の改正案」(このコラムでは「特別法改正案」と呼ぶ。法案の趣旨説明抜粋はこちら)。
財団法案の財源が寄付であるのに対し、特別法改正案は韓国政府予算。財団法案は未来志向の日韓関係に向かうことを目的としており、韓国政府による歴史清算事業である特別法改正案とは性格が違うわけだが、文議長は「立法趣旨や支援対象者が類似している」として、2法案に基づく組織は情報を共有して「有機的に法執行」を行うと説明する。
盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権は05年、日韓請求権協定の効力について再検討。慰安婦問題などは未解決だとする一方で、それ以外の国外に強制動員された人たちへの補償問題は「韓国政府に道義的責任がある」と整理し、追加支援を行うこととした。特別法改正案は、この時の事業を再開しようとするものだ。この時には、元軍人・軍属と元徴用工を区別せずに「強制動員被害者」と分類し、死傷者には「慰労金」(2000万ウォン、約190万円)を一時金として支給。無事に帰ってきた生存者には毎年80万ウォン(約8万円)の「医療支援金」を払い続けている(現在受け取っている人は約4000人)。
文議長は二つの法案を合わせ技にし、盧政権時代に整理した「強制動員被害者」の概念を復活させ、バランス良く支援の底上げを図ろうという発想だ。
当初の想定から大幅に拡大された救済対象者
文議長が提案した法案の始まりは、19年11月5日に早稲田大学で行った講演だった。「両国国民から非難を受けるかもしれないが、だれかが提案しなければならない。私の責務だ」と覚悟も語った。この時の草案での救済対象は、勝訴が確定した元徴用工訴訟の原告に加え、追加訴訟を起こした人と起こす可能性がある人の計約1500人(推計)で、支給総額は3000億ウォン(約270億円)だった。
しかし、元軍人・軍属の遺族会などから「裁判で勝てる人だけ救うのか」との批判を受け、財団法案の救済対象を「強制動員被害者」に広げた。これまでに認定されたのは元軍人・軍属を含め約22万人にのぼる。予算は数兆ウォン規模に膨らむ可能性もある。
「日本国内には、判決の影響が元軍人・軍属にまで広がることへの不安がある。その部分は、韓国政府が責任を持つと明確にしたのが、財団法案だ」。法案を推進する与党関係者は、対象拡大の理由をこう説明する。
最高裁判決が認めた「精神的苦痛に対する慰謝料」を、元軍人・軍属の生存者が求め始めたらどうなるか。訴訟相手は日本政府になるだろうが、国際法では主権国家は他国の裁判で被告にならない「主権免除」が認められる。主権免除を理由に韓国での訴訟が難しければ、責任追及は韓国政府に向かうことになる。日韓政府間の火種が広がらないように、財団法案で対応したのだという。
特別法改正案は、草案段階ではなかったものだ。最高裁判決後、訴訟当事者以外の生存者が抱く不公平感を解消する狙いとみられる。
08~15年に「慰労金」支給事業を行った根拠であった特別法は、けがをせずに帰国した生存者も慰労金対象とする案で国会を通過した。だが、けがをせずに帰国した生存者については盧武鉉大統領が拒否権を発動し、約3万2000人の死傷者に限定された経緯があるからだ。
「日本では財団法案が注目されているが、被害者にとっては生存者に慰労金が支給される特別法改正法案のほうがはるかにインパクトが大きい。盧大統領が(予算が巨額になりすぎると)拒否権を発動したのに、文大統領が認めるだろうか。韓国政府…
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