櫻田淳さんのよびかけ

<ご意見募集>同盟のネットワーク 米国以外の誰と組むべきか

櫻田淳・東洋学園大教授
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櫻田淳さん=根岸基弘撮影
櫻田淳さん=根岸基弘撮影

 去る1月、旧日米安保条約が改定され、現行日米安保条約が署名されてから、60年の歳月がたった。この度、筆者が呼び掛けるのは、小野寺五典前原誠司片山虎之助の3氏の論稿をたたき台にした議論である。日米安保条約署名60年を機に、日米同盟の将来を展望してみようというのが、この度の呼び掛けの趣旨である。

誰と組むか

 同盟を語る上で留意すべきことは、結局のところ二つしかない。第一は、「誰と組むか」ということであり、第二は、「その同盟の枠組みの中で、どの程度の役割や義務を引き受けるか」ということである。

 第一の「誰と組むか」という観点からすれば、戦後日本の特異性は、現在に至るまで米国を唯一無二の同盟国としてきたことにある。戦争の敗北と占領の記憶の上に築かれ、米国の圧倒的な存在感と影響力を前提にした同盟の現状は、依存と反発がない交ぜになった対米心理を日本国内に沈殿させてきた。

 日本を「米国の属国」として揶揄(やゆ)する声が絶えないのは、そうした事情による。無論、それにもかかわらず、中国の隆盛という客観的な現実を前にしても、たとえば「文在寅の韓国」が醸し出しているような「米国から離反し、中国に接近する」政策志向は、現今の日本では受け入れられないであろう。

 欧州方面では、北大西洋条約機構(NATO)に加盟している国々にとっては、他の加盟諸国は、すべてが「同盟国」である。これにならえば、日本にとっては、同盟のネットワークを米国以外にも広げる努力が大事になってこよう。その際、「誰と組むか」という問いが再び浮上する。今後、国民的な議論を通じて出すべきは、そうした問いに対する答えである。

 「(日米同盟と)同じような協力体制を、同じような価値観を持つ国にも広げることがより大事だ。日米豪や日米英、さらに直接、日英や日印、日仏と広げることが日本の安全保障の強化と世界の安定につながる」という小野寺五典氏の指摘は、その文脈で理解されるべきものである。

役割や義務

 第二の「同盟の枠組みの中で、どの程度の役割や義務を引き受けるか」という観点からすれば、日本が対米同盟上、引き受けてきた「役割や義務」は、限定的であったという評価になる。そうした限定的な「役割や義務」を実質上、正当化してきたのは、憲法第9条を根拠とする諸々の制約であった。

 ただし、こうした現状は、「米国は助けるが、日本は助けない」という類いの不満を招きやすい。米国が最終的に提供する「兵士の血」と日本が提供する「基地とカネ」は、決して等価ではないからである。しかも、ドナルド・J・トランプの登場が象徴するように、直近の米国は、そうした不満に容易に揺らされるようになっている。

「対米依存」どうする

 こうした日米同盟の状態を修正するためにこそ、集団的自衛権行使の限定許容を趣旨とする安倍晋三内閣下の安全保障法制整備に至るまで、さまざまな取り組みが行われてきたけれども、それは、果たして十分であったのか。

 日米同盟は、前原誠司氏が指摘する「深い対米依存」が克服されなければ、先々の展開には結び付かない。片山虎之助氏が「防衛費を国内総生産(GDP)の1%以下に抑える方針を撤廃したり、敵基地攻撃能力の保持、先制攻撃ができる場合などの検討を進めたりすることが必要だ」と説きつつ、日本の「共同防衛」の方向性を訴えているのも、前原氏と同様の問題意識によるものであろう。

「インド・太平洋版NATO」の是非は

 筆者は、以前から、日米同盟は先々、「太平洋島しょ諸国コミュニティー」と「民主主義コミュニティー」の基軸として位置付けられるべきものであると考えてきた。それは、日米同盟を軸とする安全保障ネットワークを豪州や他の太平洋島しょ諸国に広げるというものである。

 当然、日本が引き受ける「役割や義務」も、集団的自衛権の行使を含めて他国と同等とする。「インド・太平洋版NATO」という方向性を日米同盟の行く先に設定するのは、適切か。この度の議論の材料として提示してみたい。

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櫻田淳

東洋学園大教授

1965年生まれ。専門は国際政治学、安全保障。衆院議員政策担当秘書の経験もある。著書に「国家の役割とは何か」「『常識』としての保守主義」など。フェイスブックでも時事問題についての寸評を発信。