欧州の分岐点

欧州変動の震源地 独東部テューリンゲンの「政変」

中西啓介・外信部記者
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東独時代にマンションがあった場所を指さすエアフルト近郊アムローテンベルク地区長のロルフ・シャハトさん。ラメロウ州首相は就任後、東西ドイツ統一後の急激な人口減少がもたらした課題に取り組んできた=ドイツ東部テューリンゲン州で2016年4月8日、中西啓介撮影
東独時代にマンションがあった場所を指さすエアフルト近郊アムローテンベルク地区長のロルフ・シャハトさん。ラメロウ州首相は就任後、東西ドイツ統一後の急激な人口減少がもたらした課題に取り組んできた=ドイツ東部テューリンゲン州で2016年4月8日、中西啓介撮影

 ヨーロッパの政治的安定の大黒柱であるドイツの政界で2月、戦後初の「政変」と呼ばれる出来事が旧東ドイツ州である東部テューリンゲン州議会で起きた。排外的な極右思想を持つ「ドイツのための選択肢」(AfD)の支持を受け、州議会最小会派の代表が州首相に選出されたのだ。

 排外的民族主義がもたらした二つの世界大戦の教訓として決別を誓ったはずの極右勢力によって引き起こされた政変に、独国内は激しく動揺した。その影響は州内にとどまらず、メルケル首相が思い描く「政権移譲構想」をも完全に破壊した。欧州の未来に暗雲をもたらした政変がなぜ起きたのか、当事者のインタビューなどから詳しい背景を解説したい。

戦後ドイツ政治の「タブー」破った州首相の選出劇

 第一次大戦後に発足した民主国家「ワイマール共和国」の由来になった都市ワイマールや東独時代に工業都市として栄えた州都エアフルトで知られるテューリンゲン。2014年以降、州は東独独裁政党を起源とする「左派党」選出のボド・ラメロウ州首相が率いてきた。19年10月の州議会選で、左派党は第1党になったが、中道左派・社会民主党と環境政党・緑の党を合わせた左派系3党による連立政権は過半数にわずかに届かず、新首相が選出できない状態が続いていた。

 政治空白は思わぬ形で解消される。2月5日、州議会最小会派で富裕層の利益を代表する経済政策政党、自由民主党を率いるケメリッヒ党会派代表が、AfDとメルケル首相の政党であるキリスト教民主同盟(CDU)の支持を得て、新首相に選出されたのだ。

 「テューリンゲンのAfD」は、独国内では特殊な響きを感じさせる存在だ。AfD州会派を率いるヘッケ氏は、ナチス時代を批判的に検証する歴史教育の見直しや、移民・難民排斥など過激な排外思想で知られている。ヘッケ氏が率いる党内の右派支持者を集めた派閥はドイツの治安機関・憲法擁護庁に「極右の疑いあり」と認定され、監視対象にさえなっているのだ。

 自由民主党とCDUは、ケメリッヒ氏を当選させるため事前にAfDと打ち合わせしていないと釈明したが、「最も過激なAfD」の支援を受けての州首相誕生に、独メディアは「戦後政治のタブー破り」と報道。国民の間にも強い拒否反応が広がり、ベルリンなどでは新州首相誕生とAfDとの連携に反対するデモが相次いで起きた。

 当初、自由民主党のクビキ副党首は「ケメリッヒ氏の素晴らしい成果」と絶賛。AfDの支持を受けたことを「憲法が定めていることにケチをつけるべきではない」と、問題視しない考えさえ示した。だが、メルケル首相は即座に訪問先の南アフリカで、州首相選出劇を「許されないことだ」と非難。党州支部の判断を容認しない方針を明確にし、州議会の解散総選挙を要求した。

 州首相選出直後に、ケメリッヒ氏はヘッケ氏と握手を交わす。この写真はナチ政権を許したヒンデンブルク大統領とヒトラー…

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中西啓介

外信部記者

1979年生まれ。2006年、毎日新聞社入社。甲府支局、社会部千葉支局を経て外信部。15年4月~19年4月、ベルリン支局長。海外からの初のアイヌ遺骨返還につながる国際調査報道や、独メディアへの寄稿を行う。ベルリン最古の記者クラブに所属し、メルケル政権の閣僚らへの取材経験が豊富。東西ドイツ統一前後の独政治史や、欧州での極右の台頭、中道左派の衰退などをテーマに取材している。趣味は甲府勤務時代に始めたクライミングとコーヒー豆の焙煎(ばいせん)。