京都府で、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の患者女性が、医師2人によって殺害される嘱託殺人事件が発生した。すでに公表した「見解」でも示した通り、事件の詳細については未解明な点も多く、言及を避けたい。
私がこの場で伝えたいのは、今こそ、だれもが「生きていたい」と思えるような環境、社会づくりを進める必要がある、ということだ。
現在私は、国会議員として、「障害の有無を問わず誰もが幸せになれる社会をつくる」という理念で活動しているが、それができるのも、必要な医療が受けられる皆保険制度、支援体制、合理的配慮があるからだ。介助者が24時間付き添い、食事や入浴、着替えなど生活面を支えてくれている。さらに、移動や代読などの国会活動も、介助者なしにはなしえない。また、人工呼吸器や付属する医療機器をもし、すべて自費で受けるとしたら、経済的に破綻し、呼吸器を付ける選択などできなかったかもしれない。私がどれだけ活動したいと思っていても、それを実行できる環境がなければ、呼吸器を付ける前に考えていたように、「死にたい」と思ってしまうかもしれない 。
日本では、障害者や難病患者は、社会で「迷惑」をかける存在で、「役に立たない」と考えられてきた。先人たちの取り組みの成果もあり、福祉サービスや医療供給体制、社会資源は少しずつ、前進してきた…
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