中東・砂の迷宮から

としまえん・伝説のライド「アフリカ館」の謎を追う

真野森作・カイロ特派員
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閉園した東京都練馬区の遊園地「としまえん」にあったアフリカ館のポスター。正式名称は「アドベンチャーゾーン アフリカ」だった=豊島園提供
閉園した東京都練馬区の遊園地「としまえん」にあったアフリカ館のポスター。正式名称は「アドベンチャーゾーン アフリカ」だった=豊島園提供

 東京都練馬区の遊園地「としまえん」が今年8月末で閉園し、1926年から1世紀近く続いた歴史に幕を下ろした。練馬区出身で現在41歳の私にとって、強烈な印象が残るアトラクションは「アフリカ館」である。巨大体育館のような施設の中にアフリカの情景が再現され、ジープ型のライド(乗り物)で探検するというものだった。30年ほど前のあのころ、多くの練馬っ子にとって初めて体験する“遠い異国の地”といえた。海外特派員としてアフリカ大陸北東部のエジプトに駐在する今、懐かしのアフリカ館の謎を読み解きながら、日本とアフリカの関係を専門家とともに考えた。

 まずはアフリカ館の歴史と概要である。正式名称は「アドベンチャーゾーン アフリカ」といい、69年7月19日に開館した。79年生まれの私が子供のころ楽しんでいたのは開館15~20年後ぐらいという計算になる。人気を博した施設だったが、やがて老朽化し、98年に解体された。凝った作りで多数の部品を使っていたため、修理が難しくなってしまったのが原因だった。「気づいたら無くなっていた」という感覚だ。閉鎖される直前のころは、ゾウの耳がちぎれるなど相当傷んでいたという。

 解体後の跡地には玩具量販店「トイザらス」の店舗があったが、それも今回閉店した。この先は2023年前半にもオープンする人気映画「ハリー・ポッター」のテーマパークの敷地の一部になるそうだ。

 さて、開館当時の記事を毎日新聞のデータベースで調べると、69年7月18日付東京夕刊の週末案内に<ジープに乗って探検する「アドベンチャーゾーン・アフリカ」開館>と小さなお知らせが出ていた。この日の1面トップ記事は「アポロ11号 完ぺきな月コースに」。2日後の7月20日、人類は初めて月に到達した。冷戦下の米ソが宇宙開発競争にしのぎを削る時代だった。

 運営会社・豊島園の説明や資料によると、としまえんのアフリカ館は暗い屋内を乗り物で移動する「ダークライド」系のアトラクションとしては日本で先駆けとなった施設で、約3億円を投じて建設された。開館約半年前の68年12月、東京都府中市であの3億円事件が起きた当時のことである。大卒初任給は約3万円だったので、現在の貨幣価値に換算すると建設費は約20億円相当になる。

 ちなみに、似たコンセプトのアトラクションである東京ディズニーランドの「ジャングルクルーズ」は83年の開業と同時に誕生し、14年にリニューアルされた。こちらは案内役の船長が乗った小型船で水路を移動する屋外型で、アフリカ、東南アジア、南米の密林を10分間ほどで巡るというものだ。

 <パパ、アフリカってどんなとこ? 語るより体験です。さあ豊島園へ。冒険の国アフリカの大自然をジープで探る旅が待っています>

 往年のアフリカ館の宣伝コピーだ。館内は十数セクションに分かれ、6人乗りの車がレール上を自動で進んでいく。古代エジプ…

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真野森作

カイロ特派員

1979年生まれ。2001年入社。北海道報道部、東京社会部などを経て、13~17年にモスクワ特派員。ウクライナ危機を現場取材した。20年4月からカイロ特派員として中東・北アフリカ諸国を担当。著書に「ルポ プーチンの戦争」(筑摩選書)がある。