<ご意見募集>香山リカさんが問う 「死の自己決定権」「命の優先順位」は議論するべきなのか

香山リカ・精神科医
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香山リカさん=平野幸久撮影
香山リカさん=平野幸久撮影

 昨年11月、京都府で進行性の難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う50代の女性が、医師2人によって殺害されていたことがこの7月、わかった。医師らは女性とは治療関係にはなく、SNSで依頼されて致死性の薬物を投与。容疑は嘱託殺人罪である。

 私自身、ひとの命を守る医師の仕事につく者として大きな衝撃を受けたが、参院議員の舩後靖彦氏は、同じ病の当事者だ。その舩後議員が8月20日に寄せた<ALS患者嘱託殺人 誰もが「生きたい」と思える社会を>という論稿は多くの人に読まれたが、ここでもう一度、読んで、ぜひ感想や意見を聞かせてほしい。

 舩後議員の主張は明快だ。尊厳死や安楽死の議論の前に、まずは「だれもが『生きていたい』と思えるような環境、社会づくり」をすべきだ、というのだ。

 事件直後に公表された声明で、舩後氏は「ALSを宣告された当初は、できないことが段々と増えていき、全介助で生きるということがどうしても受け入れられず、『死にたい、死にたい』と2年もの間、思って」いたという告白をする。

 舩後氏はその後、患者どうしの集まりなどで「自分の経験が他の患者さんたちの役に立つこと」を知り、生きようと決意する。ただ、今回の論稿で船後氏は、その決意は、自分を取り巻く環境や社会に左右されるということを率直に述べている。「私がどれだけ活動したいと思っていても、それを実行できる環境がなければ、呼吸器を付ける前に考えていたように、『死にたい』と思ってしまうかもしれない」

 ここからわかるように、難病や治癒の可能性がない病気を患った人の「生きたい」「死にたい」という決意は、揺れ動き、変わる可能性を持つものなのである。尊厳死を主張する人は「本人の意思を大切にすべきだ」と言うが、当事者である舩後氏を見てもその「意思」は不動ではなく、とくに十分に本人を支援する体制があれば、「誰かの役に立ちたい。立てるのではないか」と生きる希望を持てる人が多いのではないか、ということも推察できる。

 いま厚生労働省は、「アドバンス・ケア・プランニング」の普及に力を入れている。これは、本人の意思決定能力が低下する前に、終末期の治療や介護について家族などと話し合っておく、というものだ。これも一見すると、本人の意思を尊重する良い取り組みのようだが、「意思は変わりうる」という同じ問題を含んでいる。

 「当事者が生きる選択肢を持てるよう」と舩後議員は言う。私自身も、まず考えるべきは「死ぬ選択肢も持てるよう」ではなく「生きる選択肢を持てるよう」だと思っている。ただ、コロナ禍では「人工呼吸器が不足した場合は若い患者優先に使用させるべきではないか」といった議論が仮定ではなくリアルなものとして浮かび上がるなど、「命の優先順位」をつけようとする動きもある。

 「死の自己決定権」や「命の優先順位」の問題を、私たちは議論の俎上(そじょう)に載せるべきなのか。それとも、それは現時点では議論せずに、舩後議員の言うように「まずは生きられる社会を」と考えるべきなのか。重い問題だが、率直な意見を聞かせてほしい。

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香山リカ

精神科医

1960年北海道生まれ。東京医科大卒。専門は精神病理学。医師の立場から現代人の心の問題について発言を続ける。立教大学現代心理学部教授。