麗しの島から

「新移民」にとっての香港デモ

福岡静哉・台北特派員
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香港政府庁舎のそばでハンガーストライキをしていた頃の黎明さん=2019年6月14日、福岡静哉撮影
香港政府庁舎のそばでハンガーストライキをしていた頃の黎明さん=2019年6月14日、福岡静哉撮影

 香港が1997年に英国から中国に返還されて以降、中国本土から香港に移住した市民は100万人を超える。返還前に中国本土などから移住した人と区別して「新移民」と呼ばれ、人口約750万人の香港において今や8人に1人の割合だ。香港で拘束した容疑者を中国本土で裁けるようにする「逃亡犯条例」改正案に端を発した抗議デモが2019年6月に本格化すると、多くの新移民たちも参加した。ただ香港市民の間には、中国共産党への敵意などから新移民に厳しい視線を向ける人も少なくない。中国共産党員を父に持つ新移民の女性が、その複雑な胸中を明かしてくれた。

 香港政府庁舎のそばで香港教育大講師、黎明さん(35)に初めて会ったのは19年6月14日午後1時すぎだった。「6月12日午前0時、絶食開始」。近くの壁には、そう記した張り紙があった。逃亡犯条例改正案に反対するため、約20人の仲間たちとハンガーストライキに入っていた。

 6月の香港は蒸し暑い。黎さんのおでこには、「絶食」と記した冷却用シートが貼られていた。床にキャンプ用マットを敷き、傘を広げて日差しを避けていた。絶食開始から既に60時間以上がたっていた。

 これに先立つ6月9日、約103万人(主催団体発表)が大規模デモに参加したが、香港政府は条例改正案の早期可決方針を崩していなかった。黎さんらがハンストを始めた12日は、大勢の若者らが審議開始を阻止するため、政府庁舎に隣接する立法会(議会)庁舎の周辺で抗議活動を展開した。警官隊は催涙弾やゴム弾などを相次いで発射し、強制的に排除した。黎さんたちのそばにも警官隊が押し寄せたが、「平和的なハンストをしているだけだ」と抵抗すると警官隊は立ち去ったという。

 黎さんの顔色は悪かった。「この60時間、水を飲んだだけ」。だがハンストを続ける理由を聞くと、力のこもった目つきで答えた。「これほど多くの市民が反対しているのに、その声に耳を傾けない政府はおかしい」。デモの参加人数にちなみ、103時間のハンストを目標に掲げた。

 この時、出身地は上海だと自身の境遇も明かしてくれた。その後、私は他の取材に追われた。6月18日にハンストの現場に戻ると、黎さんらの姿は既に無かった。

 20年7月、19年当時の資料を整理していて、黎さんの写真が目に入った。抗議デモが本格化して1年以上たった今、どんな思いでいるだろうか。黎さんの連絡先は当時、聞いていた。メールで取材を依頼すると、快く応じてくれた。

 「あの後、体調を崩して病院に運ばれました」。8月上旬、香港教育大のキャンパスにある喫茶店に現れた黎さんは、まずハンストのその後について教えてくれた。開始から約90時間となった19年6月15日午後6時ごろ、血糖値の低下に高熱が重なり入院したという。「でもブドウ糖の点滴を受けてすぐに回復し、6月16日の200万人デモには参加しました」と笑顔を見せた。

 「父は中国共産党の党員。私は中国によくいる典型的な愛国少女でした。国旗を掲げ、国歌を大声で歌い、中国は良い国家で中国共産党は素晴らしい党だと思っていま…

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福岡静哉

台北特派員

1978年和歌山県生まれ。2001年入社。久留米支局、鹿児島支局、政治部などを経て2017年4月、台北に赴任した。香港、マカオのニュースもカバーする。