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「許していい 忘れてはならない」90年前にあった台湾の抗日蜂起事件 子孫たちは今

福岡静哉・外信部
霧社事件で生き残ったセデック族の子孫たち=台湾中部・南投県仁愛郷で2020年10月27日、福岡静哉撮影
霧社事件で生き残ったセデック族の子孫たち=台湾中部・南投県仁愛郷で2020年10月27日、福岡静哉撮影

 台湾が日本に統治されていた1930年10月27日、中部のある集落で先住民が抗日を訴えて蜂起する事件が起きた。山間部で伝統的な暮らしを守ってきた先住民セデック族が住む「霧社」で起きたことから、霧社事件と呼ばれる。事件では134人の日本人が殺害される一方、日本側による攻撃やその後の弾圧で先住民約1000人が死亡し、日本統治時代に起きた先住民による最も大規模な抗日事件として知られる。事件から90年。生き残った人々の子孫は今、事件そのものや、日本に対してどのような思いを抱いているのだろうか。現地を取材した。

住民の8割が死亡

 台湾中部の最大都市・台中市からバスを乗り継ぎ、約2時間。霧社事件が起きた南投県仁愛郷(郷は日本の行政区分の「郡」に近い)は、3000メートル級の山々が台湾を縦に貫く中央山脈のふもと、標高約800メートルの地点にある。

 郷役場のそばに「モーナ・ルーダオ記念公園」と名付けられた公園がある。モーナ・ルーダオとは、抗日蜂起を率いたリーダーの名だ。その名前を冠した公園内には銅像が建つ。山中で自殺したモーナ・ルーダオの遺体は事件から3年後に発見され、遺骨は台北帝国大学(当時)に保存された。「古里に帰してほしい」という遺族らの要望を受け、遺骨は73年10月、公園内に埋葬された。追悼式は毎年、事件が起きた10月27日に公園内で催されている。

 台湾では数千年前から、数多くの先住民が暮らしてきた。17世紀に入り、漢民族の台湾移住が本格化すると、平地に住む先住民は次第に土地を奪われ、同化していった。だが、山間部の先住民たちの多くは自らの土地と伝統的な暮らしを守ってきた。中でもセデック族は武勇で知られた民族だった。

 日本は1895年に台湾統治を始めた後、山間部の先住民たちの抵抗を相次いで武力鎮圧した。霧社に住むセデック族の人々も戦闘の末、支配下に置かれた。過酷な労役や差別、侮辱、日本人警官たちの強権的な振る舞いなどによって、誇り高きセデックの人々の憤りは頂点に達した。

 モーナ・ルーダオらの呼び掛けで、一帯のセデック族が住む12集落のうち6集落の男たち約300人が蜂起した。警察署を襲撃した後、運動会が開かれていた学校の校庭に攻め入り、保護者や子供たちを次々と殺害した。台湾の郷土史家、鄧相揚氏の著作によると、この日だけで日本人134人が殺害された。これが霧社事件である。モーナ・ルーダオは6集落の一つ、「マヘボ社」の頭目(リーダー)だった。

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外信部

1978年和歌山県生まれ。2001年入社。久留米支局、鹿児島支局、政治部などを経て17~21年、台北特派員として台湾、香港、マカオのニュースをカバーした。