
「ロヒンギャの方を自宅にお招きすることにしました」――ある日、母から届いた一通のメッセージをきっかけに、ロヒンギャ式「ビリヤニ」(炊き込みご飯)の料理教室に参加し、ロヒンギャの方に振る舞うことを決めた私は、いよいよその成果を披露することとなった。その日の食卓で、私は世界の、そして日本にいるロヒンギャの人々の人生について思いを巡らせた。
<ロヒンギャ料理で考える~台所編~>
味の数だけ人生がある
実家に招いたのは、ユニクロに勤務するカディザ・ベゴムさん(34)、夫のムシャラフ・フセインさん(45)と長男アヤンさん(10)、長女ヌラインさん(7)の4人家族である。後に詳述するが、ベゴムさんはバングラデシュ出身。フセインさんはミャンマー生まれで、日本にいる数少ない難民認定者だ。一家は、フリーライターの母が無国籍をテーマとした取材で知り合い、私はこの日が初対面だった。
料理教室に参加したのは10月17日、それから1週間後の24日のことだった。習ったばかりのロヒンギャ式「ビリヤニ」を、「私たちの味」と気に入ってもらえるだろうか? 4人が到着すると、私の中で緊張が一気に高まった。
そんな私を救ってくれたのは、小学生のアヤンさんとヌラインさんだった。到着早々、2人は「(午後)1時30分からテレビ見させてください。あと15分しかない、おなかすいた」と私にせがんできた。聞くと、今大流行しているアニメ「鬼滅の刃」の放送時間なのだという。「空腹で、しかも気がせいているのであれば、何でもおいしく感じるだろう」。そう思うと、私は気が楽になった。
「おいしい!」。私が食卓に載せたビリヤニを口に運んだ4人は、滑らかな日本語で、笑みを浮かべて褒めてくれた。恐る恐る聞いてみる。「ロヒンギャ風になっていますか?」。すると、フセインさんはこう答えた。「ビリヤニはいろんな国で食べられていて、それぞれ使うスパイスも違います。私たち夫婦はロヒンギャだけど、生まれは彼女がバングラデシュ、私はミャンマー。夫婦でも味が違うのです」。ベゴムさんが言葉を継いだ。「バングラデシュのビリヤニは味が濃くてパラパラ。ミャンマーのものはチャーハンみたいで、これはそれに近い。よくできています」。「ロヒンギャの味が再現できている」とは言わなかったが、味に親しみは感じてもらえたようだ。私はそれがうれしかった。
ロヒンギャは、ミャンマー西部ラカイン州の少数派のイスラム教徒だ。ミャンマー政府からは「(隣国バングラデシュなどに住む)ベンガル系の不法移民」であるとされ、長年、差別と迫害を受けてきた。そのため、多くがバングラデシュをはじめ、インドネシアやタイに移住している。
「ロヒンギャはもともと地理的、言語的にバングラデシュに近い。でも、もちろんミャンマーの影響もあります。さらに避難した場所で得られるスパイス、その国の作り方にも影響を受ける。多分、家族それぞれ味が違うと思います」。フセインさんの話に膝を打つ思いがした。
私はそれまで、習った通りの「ロヒンギャ風」に味付けしなければならないということにとらわれていた。しかし、例えば日本人のカレーの味だってさまざまだ。ロヒンギャの人たちは移住を余儀なくされてきた歴史も複雑に絡み合い、ビリヤニの味も家庭によって違うのだ。そしてきっと、その家族の分、それぞれに人生のストーリーがあるのだろう。
生きている間に親にもう一度会いたい
ベゴムさんは、10人兄弟の6番目。1970年代に医師である父がミャンマーからバングラデシュに移住し、その後家族も合流した。ベゴムさんを含め、4番目以降の子は出生地主義を取るバングラデシュで生まれたため、国籍はバングラデシュ人だ。
一家は、ロヒンギャであることを隠し続けた。「当時は、ロヒンギャとバレたら教育も受けられませんでした。ロヒンギャであることは最大の秘密だった」とベゴムさんは振り返る。ただ、言葉のイントネーションなどでロヒンギャであることが分かってしまうことがしばしばあり、引っ越しと転校を繰り返した。
ロヒンギャであることは、ベゴムさんの進路にも影響した。父と同じ医師になることを夢見ていたが、受験申請に必要な書類でロヒンギャだと分かれば、バングラデシ…
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