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北アイルランド紛争の闇と、もう一つの「離脱」

服部正法・欧州総局長
プロテスタント住民の集住地域では、プロテスタント系過激派組織を描いた壁画などが目につく=北アイルランドの中心都市ベルファストで2019年11月、服部正法撮影
プロテスタント住民の集住地域では、プロテスタント系過激派組織を描いた壁画などが目につく=北アイルランドの中心都市ベルファストで2019年11月、服部正法撮影

 英領北アイルランドで、英国統治の継続を望むプロテスタント系住民と、アイルランドへの併合を願うカトリック系住民が対立した北アイルランド紛争時に発生し、未解決となっている多くの殺人事件に関し、英国政府が今後調査対象を限定する方針を打ち出している。これに対し、事件の犠牲者家族らは事実上の調査終結だとして反発の声を上げ、真相が「闇」に葬られることへの懸念を強めている。

 背景にあるのは、当時の英当局・軍関係者への訴追乱発を避けたい与党・保守党やジョンソン政権の思惑だが、探っていくと、ブレグジット=英国の欧州連合(EU)からの離脱=とは異なる、別の「欧州からの離脱」論議があることに気づかされる。もう一つの離脱とは何か。そして、なぜ英保守派の「欧州離れ」意識はこれほど強いのか。

未解決殺人事件の調査の縮小はかる英政府

まず、北アイルランド紛争について確認してみる。元々カトリック教徒が多かったアイルランドには17世紀以降、イングランドやスコットランドからプロテスタント教徒が大量に入植した。英植民地となったアイルランドは20世紀になってから独立を果たしたが、この際、プロテスタント人口がカトリックを上回って多数派となっていた北アイルランドは英国に残留することになった。

 北アイルランドでは、「二級市民」的な扱いを受けたカトリック教徒の反発が強まり、米国で高まった公民権運動にも影響を受けて、1960年代にカトリック差別に反対するデモ活動が活発化。やがて英治安当局との衝突やプロテスタント、カトリック双方の過激派武装勢力によるテロや武装闘争に発展し、約3500人の犠牲者を出した末、98年に和平に合意した。

 当時、この紛争に関連して発生し、未解決のままとなっている殺人事件は約2000件に上るとされ、多くは双方の過激派の関与が疑われている。2014年に紛争当事者のプロテスタント、カトリックの各グループと英・アイルランド両政府が結んだ合意の中では、紛争に関連する未解決殺人事件を調査する独立機関を設置することを決めた。

 一方、こういった動きに対し、英国の退役軍人らには北アイルランド紛争にかかわった退役軍人などに対する訴追乱発などへの懸念が生まれていた。元当局者らの証言などから、英軍内の秘密機関や警察の一部がプロテスタント過激派武装組織と共謀し、住民殺害に関与した疑惑などが浮上しているためだ。

 与党・保守党は、ブレグジットの帰趨(きすう)を決めることになった19年12月の総選挙前、公約に元当局者らへの訴追乱発の阻止に取り組むことを盛り込んだ。「ブレグジット実現」を訴えて総選挙に圧勝した保守党によるジョンソン政権は20年3月、北アイルランド紛争時の未解決事件について、調査を行うのは「説得力のある新たな証拠があり、訴追の見通しが現実的なケースに限る」(ルイス北アイルランド担当相)とする新たな方針を明らかにした。

 英紙フィンシャル・タイムズによると、ある英政府高官は政府の新方針について、元当局者らの「恩赦や訴追の免除を意味するわけではない」と説明したが、犠牲者家族らの団体からは「事実上の調査終結だ」との反発が起きた。独立機関による徹底調査を明記した合意の当事者であるアイルランド政府からは、コーブニー外務・貿易相が新方針の発表直後、「両政府と各政党の合意は実行されねばならない。加害者が誰であれ、紛争関連死には有効な調査がされるべきだ」と英政府に異議を唱える声明を出した。

 プロテスタント、カトリック双方の被害者家族らが参加する団体「ウェーブ・トラウマ・センター」は10月20日、英議会宛てに書簡を送付。この中で新方針が「退役軍人の保護」を主目的としたもので「リパブリカン(カトリック過激派)とロイヤリスト(プロテスタント過激派)の武装組織によって実行された多くの殺人を覆い隠す事実上の恩赦だ」と批判し、真相解明を訴えた。

 一方、英議会も政府の新方針に疑問を呈した。保守党議員も含む下院北アイルランド問題委員会は10月26日、「調査終結は法的、倫理的、人権の観点から問題をもたらす」と新方針を問題視する中間報告書を発表した。

全容解明が進まない国と武装組織の共謀

 こういった現状について、犠牲者家族はどう感じているのか。

 私の取材に応じてくれたのは、紛争時に父親をプロテスタント過激派戦闘員に殺されたジョン・フィヌケーン下院議員である。

 フィヌケーン氏の父、パット・フィヌケーン氏は北アイルランドの中心都市ベルファストの弁護士だった。カトリックで、家族にはカトリック過激派武装組織「アイルランド共和軍」(IRA)のメンバーがいたとされるが、妻はプロテスタントで本人はIRAメンバーではなかった。ただ、パット氏はIRAメンバーなどの弁護人を務めており、プロテスタント側、英当局側からはIRA構成員と見られていた。

 パット氏が殺害されたのは1989年2月12日。日曜日だったこの日、パット氏は妻と3人の子供とともに、夕食のテーブルを囲んでいた。そこに、武装した男たちが押し入り、家族の目の前で14発もの銃弾をパット氏に浴びせた。当時39歳だった父の死を目撃した3人の子供のうち、末っ子が当時8歳だったジョン氏である。

 英軍や警察の一部がプロテスタント過激派と共謀して、住民を殺害した疑いがある――と先に書いたが、この事件はその代表的なケースだ。これまでに元当局者の英メディアへの証言や複数の非公式調査で、プロテスタント過激派の実行犯の背後に英軍秘密機関の工作員がおり、殺害計画に関与した疑いが指摘されている。

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欧州総局長

1970年生まれ。99年、毎日新聞入社。奈良支局、大阪社会部、大津支局などを経て、2012年4月~16年3月、ヨハネスブルク支局長、アフリカ特派員として49カ国を担当する。19年4月から現職。著書に「ジハード大陸:テロ最前線のアフリカを行く」(白水社)。