韓流パラダイム

東京五輪を機にビッグディール? 勝負に出た文政権の狙いは

堀山明子・ソウル支局長
  • 文字
  • 印刷
菅義偉首相との会談後、著作を手に記者団の質問に答える朴智元韓国国家情報院長=首相官邸で2020年11月10日、竹内幹撮影
菅義偉首相との会談後、著作を手に記者団の質問に答える朴智元韓国国家情報院長=首相官邸で2020年11月10日、竹内幹撮影

 11月中旬以降、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権とその周辺から、日韓関係の改善を目指す動きが相次いでいる。情報機関トップが新たな日韓共同宣言による諸懸案の一括妥結方式を打診したのを皮切りに、韓日議員連盟会長は来年の東京オリンピック・パラリンピック(東京五輪)の成功に向けた日韓協力を土台に解決案を模索する段階的解決案、さらに、これらの提案が「空手形」ではないという本気度を見せるかのように、駐日大使人事の電撃発表……。短期間に関係改善のメッセージを込めた三本の矢が飛んできた。手持ちの知日派人脈を総動員してたたみかけ、菅義偉首相とガチで向き合う作戦のようだ。

 一連の提案は「ビッグディール」という形式こそやや目新しいものの、日本政府が再三要求している「徴用工問題の解決策」は具体性に欠ける。文大統領の狙いは何なのか。なぜこのタイミングで勝負に出たのか。

米国のバイデン新政権向けアピール?

 来日した韓国の情報機関「国家情報院」の朴智元(パク・チウォン)院長は11月10日午後、菅首相の新著「政治家の覚悟」を手に官邸入り。25分にわたる表敬訪問を終えて出てくると、報道陣に「本にサインをもらった。光栄だ」と菅氏との親密さをアピールした。情報当局者は水面下で動くという常識を破った異例の行動だ。

 韓国政府関係者によると、会談で朴氏は新たな日韓首脳共同宣言を提案した。「具体的な提案はなかった」とする日本側説明と食い違うが、朴氏は帰国後、共同宣言提案の報道について確認を求める韓国メディアに「事実だ」と語った。

 朴氏は、1998年に日韓共同宣言を小渕恵三首相と結んだ金大中(キム・デジュン)大統領の下で閣僚や大統領秘書室長を務めた実力者。2000年の南北首脳会談を実現するために北朝鮮に不正送金をしたとして実刑を受けた経歴もあり、金大中政権時代の大きな交渉を表でも裏でも支えた人物だ。その朴氏が公言したのだから、菅氏へどう伝えたかはともかく、文政権が新たな日韓共同宣言を日本に提案したことは事実といえるだろう。

 98年共同宣言は、日韓漁業協定が断絶状態に陥った危機を克服するだけでなく、歴史問題の和解や北朝鮮核・ミサイル問題での連携、国連外交や国際経済秩序維持で協調するなど幅広い分野でビジョンを共有した日韓関係の土台だ。文大統領はこうした大きなスケールの共同宣言を構想して、金大中政権時代の日韓間のパイプを活用したのだろうか。

 「朴院長の提案は、日韓対話のために韓国側は努力していると米国のバイデン次期大統領にアピールしたもの。前向きに提案したという形を残せば、うまくいかなくても、摩擦の原因は日本が対話を拒否しているからだと主張できる」。韓国政府系のシンクタンク関係者は、米大統領選直後に朴氏が公然と動いた狙いをこう解説した。オバマ大統領が14年、慰安婦問題を巡り交流が断絶状態にあった朴槿恵(パク・クネ)大統領と安倍晋三首相の間を取りもち、オランダで日米韓首脳会談を開催したことがある。バイデン政権が本格始動すれば、再び日韓摩擦の解消に向けて介入してくる可能性があり、その際には「韓国が優位に立てるように先手を打った」というのだ。新たな日韓共同宣言が実現すれば、22年の任期まで残り1年余となった文政権のレガシーになるし、ダメなら日本批判の材料にでき、失うものがないという発想らしい。

軌道修正した韓日議連のアプローチ

 朴氏による表敬から3日後の13日、超党派の国会議員でつくる韓日議連の金振杓(キム・ジンピョ)会長ら幹部7人が、菅氏を表敬した。金会長が中央日報に語ったインタビューによると、来年夏の東京五輪成功に向けて日韓が協力して北朝鮮の参加を促し、「北東アジアの平和と安定を図れば、徴用工問題の(解決策を決断する)環境が整うのでは」と菅氏に提案したという。金会長はまた、日中韓首脳会談のために訪韓し、文大統領と「虚心坦懐(たんかい)に対話を」と促した。

 これに対し菅氏は、東京五輪協力の提案に謝意を示しつつ、「徴用工問題で韓国が進展した立場を示してほしい」と語った。日韓首脳会談の呼びかけにも、同じ言葉を繰り返した。同席していた元大阪総領事で韓日議連幹事長の金碩基(キム・ソクキ)氏は「五輪協力はありがたいが、徴用工問題解決は別問題なのだから、(徴用工訴訟で差し押さえられた日本企業の資産が)現金化されないように具体案を示せ、という意味だったと理解した」と話す。

 しかし、今回訪日した韓日議連幹部は徴用工の解決案は持たずに来ていた。韓日議連は4月の総選挙を経て10月に役員を改選しており、金会長体制になって初の訪日。前任の姜昌一(カン・チャンイル)会長が、韓日双方の企業の寄付で設立した財団を通じて徴用工問題の解決を目指すという文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の法案(昨年12月提出、今年5月に廃案)を日本側に説明して回ったのに対し、新体制の韓日議連は新たな法案を推進する立場をとらず、悪化した日韓双方の国民感情を和らげる文化交流の提案に終始した。

 新たな議員立法案をつくれないわけではない。金会長は文議長法案の共同提案者でもあり、法案趣意書にはその推進の前提として「98年の日韓共同宣言の中で示された日本政府の反省・謝罪の意思を再確認する」と明記するなど、法案づくりで核心的な役割を果たした。財務官僚から金大中大統領にスカウトされて政界入りした経緯から、過去の日韓政府間の合意を踏まえた政治的解決を目指すべきだという思いが強い。しかし、国会議員改選に伴い文議長法案が廃案になった後、議員立法を通じた解決案には関与しない姿勢を明確にした。なぜなのか。

 金会長は文議長法案の挫折を踏まえ、自戒の念を込めて言う。「議院内閣制の日本と違って、大統領制の下で動く韓国の国会議員は役割に限界がある。外交問題は大統領が決断するしかない。政界があれこれ動いて『二重外交』をすると、結果的に混乱を招くことになる」。訪日前の11月11日に掲載された毎日新聞への寄稿でも金会長は「葛藤だけに焦点を当てると問題はさらにこじれる。発想を転換し、交流と協力を拡大して対話の環境を整えてこそ、未来志向的な解決策が出てくる」と対話の環境整備に徹する理由を説明した。

 韓日議連の方針転換は、文大統領が「司法への不介入」の原則論でガンとして動かなかった結果とも言える。青瓦台関係者によると、文大統領は文議長法案について、日本企業に慰謝料を請求した徴用工訴訟で18年10月以降に勝訴が確定した原告や被害者団体から反対の声が上がったため、政権が掲げる「被害者中心主義」に合致しないと見ている。また、法案が日本の被告企業に寄付を義務づけていない点も、「不法な植民地支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為」に対する慰謝料を認めて支払いを命じた最高裁の判決の趣旨を踏まえていないと問題視している。人権弁護士として三菱重工業に賠償を求めた徴用工訴訟(18年11月に原告勝訴で確定)の訴訟代理人に名を連ねたことがある文大統領には、政治的解決で司法判断をなし崩しにした場合、「植民地支配の合法化につながる」という危機意識が、強くあるのだという。

米朝も南北も行き詰まる中で

 政治的解決に慎重だった文大統領が最近変化したのは、19年2月にハノイで行われた米朝首脳会談が決裂した後、南北対話チャンネルが完全に断絶し、もはや東京五輪を利用して朝鮮半島平和プロセスを活性化するしかないと判断したからとみられる。バイデン政権になれば、トランプ大統領のように北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と会談してトップダウン方式で非核化を進めようという勢いは途絶える可能性が高い。「1月のバイデン政権発足前に東京五輪に北朝鮮を招くための日韓協調の流れをつくり、バイデン氏が北朝鮮政策に積極的に関与する構図を固めるのが文政権の戦略」(与党関係者)という。

 新たな日韓共同宣言構想は、青瓦台(大統領府)主導で一気にアクセルを踏んだ模様だ。朴院長が訪日したころ、康京和(カン・ギョンファ)外相は米ワシントンに出張中で、帰国直後に韓国メディアの取材に共同宣言について聞かれ「外務省と十分協議していない。朴院長自身の考えでは」と困惑を隠せなかった。

 一方、尹建永(ユン・ゴンヨン)元青瓦台国政状況室長は11月12日にMBCラジオのインタビューで、「(新たな韓日共同宣言となる)文・菅宣言は有意義な案」と国民向けの説明役を買って出た。学生運動出身の尹氏は、18年9月の文大統領訪朝準備のため平壌に派遣された大統領特使団5人のうちの一人で、文大統領の「腹心」とされる。4月の総選挙で与党「共に民主党」から初当選して政界入りした。

 尹氏はインタビューで新たな日韓共同宣言構想について「安倍政権時代にも似たようなアイデアが(文政権内で)出ていた」と明かし、強硬姿勢を続ける安倍政権に前向きな兆しが見えないため「本格的に推進できなかった」と語った。もし新たな共同宣言がつくられるなら、「金大中政権時代の(98年共同)宣言を参考に、韓日間の懸案をビッグディールで、強制動員問題まで含めて一気に解決する」と予想した。

青瓦台主導外交が加速

 青瓦台主導外交をさらに鮮明にしたのが、11月23日に電撃発表された駐日大使人事だ。赴任から1年半しかたっていない南官杓(ナム・グァンピョ)駐日大使を交代させ、後任に韓日議連前会長の姜氏を内定した。青瓦台関係者は姜氏について「韓日議連幹事長と会長を歴任し、(日本との)ハイレベルのネットワークを築いた」と実績を評価し、「(駐日大使に)今は外交官より政治家出身が適していると判断した」と説明した。南大使は12月の内閣改造で閣僚に抜てきされるという見方もあるが、外務省関係者の間では「あの発表の仕方は外交官出身であることを理由に更迭されたかのように聞こえる」と衝撃が広がっている。

 姜氏は80年代に東大に留学し、日韓併合過程の実証研究で博士号を取得した歴史学者でもある。国会議員を4期務めた。歴史認識問題では日本に厳しいが、17年に韓日議連会長に就任した後は現実的な打開策を模索し続けている。新たな日韓共同宣言の提案に対し日本では官邸や外務省の反応が芳しくない中、二階俊博自民党幹事長が前向きな反応を示していることから、二階氏に通じる政界ラインが起用されたとみられ…

この記事は有料記事です。

残り2721文字(全文6992文字)

堀山明子

ソウル支局長

1967年生まれ。91年入社。静岡支局、夕刊編集部、政治部などを経て2004年4月からソウル支局特派員。北朝鮮核問題を巡る6カ国協議などを取材した。11年5月からロサンゼルス特派員。18年4月から現職。